竹田昭彦・日誌(#10)・番外編)    

韓国青年参加の履歴
日々の学びに 感動

2008年ソウル国際市民マラソンでドクチンさん(右)と再会=2008/3/02、ソウル市
出発式で挨拶するジュングさん(左)とジミンさん
=2016/7/4、佐世保市
終結集会で挨拶するジェファンさん
=2017/8/06、長崎市
青年交流の「Ring!Link!Zero 2018inHIROSHIMA」の発言者(中央がジョヨンさん)
=2018/08/04、広島市
反核平和マラソン・ランナーとの交流会でアリランを歌うスルギさん(左)=2019/08/08、長崎市
折り鶴を掲げるジュンナムさん
=2023/08/05、広島市
 原水爆禁止国民平和大行進に、韓国の青年たちが参加するようになった経緯は、私が2007年に長崎市を行進した時に、キム・ドクチンさんと出会ったことです。
 参照 takeda-a.net/17-7-30.html
 その縁で、9年後の2016年に、キム・ジュングさんと、イ・ジミンさんの参加が実現しました。その後、17年には、イ・ジェファンさん、18年には、イ・ジョヨンさん、19年には、アン・スルギさん、そして、コロナ禍で中断後の今年が、イ・ジュンナムさんの参加です。
 その青年たちは大学生で、夏休み期間の参加です。学年と、経過の一端を紹介します。
 16年のジュングさんは、大学を卒業年で、ジミンさんは、大学院生でした。
 二人は、イギリスのエディンバラ大学への留学を目指していました。
 参照 takeda-a.net/16-7-04.html
 陽気な二人で、来日2日目の歓迎会では、アリランの歌を披露しました。
 参照 takeda-a.net/16-6-29.html
 二人は、長崎原爆朝鮮人犠牲者の追悼碑を見て、朝鮮半島の出身者が原爆で亡くなった事実を、初めて知ったのです。
 行進は、長崎の初日から雨降りでした。その後も、豪雨や炎天下を、先頭のリレー横断幕を持ち、沿道に手を振り、笑顔を絶やしませんでした。
 ジミンさんは、長崎市から北九州市の門司までの24日間、ジュングさんは、長崎市から広島市までの38日間歩きました。
 17年のジェファンさんは、大学4年生で、韓国体育市民連帯で活動していました。前年に私がナヌムの家(日本軍「慰安婦」共同生活所)からソウルの日本大使館までのリレーマラソン50㎞に参加した時、彼も一緒に走っていたことを知りました。
 ジェファンさんの毎日の挨拶では、日々メッセージが進化し、長崎市の爆心地公園での終結集会(西日本コース)では、涙して聞きました。
 参照 takeda-a.net/17-8-06.html
 ジェファンさんは、広島市から長崎市までの33日間歩きました。
 18年のジョヨンさんは、大学2年生で、日本語を話します。
 彼は、活発に活躍されました。広島に終結した4日の夜の青年交流会でのスピーチは好評でした。
 参照 takeda-a.net/18-8-05.html
 その後も、活躍の場があったのですが、日程が平和行進だけに限られため(世界大会参加等)実現出来ませんでした。
 今後は、平和行進と世界大会参加をセットにした日程が良いと思います。
 ジョヨンさんは、福岡市の中央区から広島市まで23日間歩きました。
 19年のスルギさんは、大学2年生で演舞が特技でした。
 参照 takeda-a.net/19-8-08.html
 スマホの操作が達者で、ハングル語のスピーチを即、日本語の読み方(ハングル文字)に訳したスマホを見て、日本語の発声で挨拶していました。
 終盤の日程では、暑さでのバテもあり、宣伝カーに乗って、日本語のアナウンス原稿を駆使し、流暢な日本語で流し、たいへん好評でした。
 スルギさんは、茨城県の水戸市から千葉県、東京都の終結(北海道→東京コース)まで歩き、その翌日に佐賀県へ移動し、佐賀市から長崎市まで、総計35日間歩きました。
 23年のイ・ジュンナムさんは、大学1年生で、テコンドー、柔道をしており、日本語を少し話します。率直で、行動が速やかでした。
 ジュンナムさんは、千葉県の柏市から東京都の終結まで歩き、その後、新スポーツ連盟神奈川県連名との交流に3日間参加しました。そして、広島県へ移動し、呉市から広島市まで、総計9日間歩きました。
 広島平和資料館の見学では、息が詰まるような熱心さで、私は感動しました。
 参照 takeda-a.net/23-8-05.html
 1958年から始まった平和行進は、65年間休まず続けてきた世界で唯一の行進です。原水爆を無くし、戦争を無くし、世界の平和を願う、根源的な運動だと思います。そして平和行進は、一面、肉体的にも過酷な運動だと思います。その運動に、ほとんど予備知識や体験のない韓国の青年たちは、果敢に挑戦しました。そして、被爆者の実相の証言、核兵器の非人道性、被爆者をはじめとする日本国民の核兵器廃絶の運動等々が、日々韓国の青年たちに伝わり、理解を深めました。心から敬意を表します。
 その体験は、生涯のどこかで、必ず生きた行動になると確信します。

 
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