竹田昭彦・日誌(#34)・8月06日(日)    
爆心地に終結

   
  広島から、沖縄から、宮崎から、長崎に集結=2017/8/06、長崎市・爆心地公園  
     
日見峠を行進=2017/8/06、長崎市
日本政府へ「核兵器禁止条約に賛成を」と訴えて歩く高校生=2017/8/06、長崎市
終結集会で挨拶するイ・ジェファンさん
=2017/8/06、長崎市・爆心地公園
ビデオ提供=長崎県高等学校教職員組合
 
韓国の医療関係者と記念撮影するイ・ジェファンさん(前列左から2人目)
=2017/8/06、長崎市・爆心地公園
 
 今日は、長崎市の行進です。
 そして、2017年原水爆禁止国民平和大行進が、長崎の原爆投下爆心地へ終結し、全国の行進が終了します。
 天気は、うす曇りで風があり、酷暑になりませんでした。氷は、必要なかったです。
 9時40分、日見公園で出発集会が開かれ、最後の行進へ移りました。
 今朝、8時過ぎ、メールを開くとジェファンさんのスピーチ原稿が、打ち合わせなしで届いていました。急いで翻訳ソフトで日本語に訳して、印刷を日見公園のベンチで行いました。バッテリーで動くポータブル印刷機を持参しており、便利な世の中になったものです。
 直ぐ、嶋田さんに原稿を渡し、出発式の挨拶に間に合いました。通訳をした嶋田さんは、感極まり、声が途切れ途切れになりました。
 行進が出発し、間もなく日見峠にかかりました。
 参照 takeda-a.net/05-8-06
     takeda-a.net/16-6-29
 昨日の下見で、遠田さんは宣伝カーに乗って上る決断をしていましたが、昨日より大分気温が下がったので、歩き通せ、喜んでいました。
 午後1時30分、世界大会が開かれる長崎市民会館から午後の行進がはじまりました。
 ここから参加した、長崎市内の高校2年生のK君が、今日、便せんに書いたという原稿を、赤信号で止まる毎に、大きな声で読みました。
 被爆国の日本政府が、「国連で採択した核兵器禁止条約に反対していることを、どうしても納得できない」「原爆の悲惨さを一番良く知っているのに」と、核兵器廃絶を訴えました。
 「マイクで訴えたら」と、周囲がK君にすすめると、「自分の声で話す」といいました。若い人のエネルギーを感じました。私も、高校生のときに戦争の真実を知ったなら、彼のような行動を取ったと思いました。
 午後3時40分、長崎市に投下した原爆が爆発した「爆心地公園」で、終結集会が開かれ、広島→長崎、沖縄→長崎、宮崎→長崎、そして長崎県網の目「西彼井コース」が終結しました。
 長崎市長メッセージを大久保一哉平和推進課長から披露されました。
 その後、各通し行進者がゴールした感激と感謝を述べ、日本政府が核兵器禁止条約を批准する運動を続ける決意を話しました。
 これまで、ジェファンさんからは、日ごとに適切なスピーチ原稿を受け取っていました。彼は、状況をつかむ能力が優れていると思いました。今日は、7回目の原稿で「ラストスピーチ」です。
 嶋田さんは、終結集会の通訳でも、今朝の出発集会と同様に声を詰まらせました。話すことになれた冷静な嶋田さんでも、1ヶ月余、行動をともにしたので、感情を抑えることができなかったのでしょう。当のジェファンさんも、詰まっていました。
 この集結集会には、世界大会に参加する韓国の医療関係者10余名がおられました。
 そして、ジェファンさんの挨拶に、大きな声援をおくられました。同胞の連帯感が高まり、ジェファンさんは心強かったと思います。
 集会終了後には、ジェファンさんとファイティン(ファイト)ポーズで記念写真を撮りました。
 今日の歩いた距離は、6区間を50~70人前後で13.2㎞です。
 広島からの総距離は、
腕時計のGPS測定により、441.5㎞でした。
 今年の行進は、今日で終わりです。
 振り返ってみますと、後半は暑さとの戦いでした。昨年までの行進では、行進が辛いと思うことがありませんでした。今年は、午後になると、早く終わりたいと思うことがありました。加齢による面のもありますが、気温が高かったのは事実です。日誌の文面の多くが、暑さのことでした。
 そに上、頭の回転が鈍くなり、日誌の誤字、脱字、意味不明が多くありました。お詫び致します。
 今回の私の参加は、自主参加でしたが、各県で全国通し行進者と同等にして頂き、心から感謝申し上げます。
 イ・ジェファンさんのラストスピーチを紹介します。

 こんにちは。韓国の体育市民連帯のイ・ジェファンです。
 7月5日、広島から出発し、すでに今日は最後の日です。長い、長い、時間だと思いましたが、今日になってみると、短い時間でした。
 33日間、1日も休まず歩きましたが、あまり大変でなかったと感じました。たくさん歩いたのも、多くの人と一緒だったからと思います。
 私たちが行進しながら多くのことがありました。
 去る7月7日に国連で、核兵器禁止条約が締結され、同時期に、韓国では、建設中の原子力発電所の建設が中断しました。平和行進の答えであり、応援だと感じました。
 一方で、北朝鮮のミサイル実験と韓国と米国の対応で、韓半島には、戦争の脅威が造成されています。それが、熱心に平和行進に取り組む理由でした。その中で、歩いた数だけ平和とは何なのか、平和運動が何なのか、分かるようになりました。私の頭と心の中に平和という文字が刻まれました。死ぬ、その瞬間まで消えません。
 平和のための皆さんの足と、叫び、歌い、物語をすべて忘れません。
 皆さんに、多くのことを学んで戻ります。韓国に戻っても、平和のために先頭に立ちます。
 この間、本当にお世話になりました。本当にありがとうございます。

 
  copyright(c) takeda akihiko all rights reserved.