竹田昭彦・日誌(#64)・8月05日(日)    
託された折り鶴を捧げる

行進中に託された「健康友の会若戸支部」の折り鶴を捧げる
=2018/08/04、広島市平和記念公園
新日本スポーツ連盟 “反核平和マラソン交流の夕べ” =2018/08/05、広島市
青年交流の「Ring!Link!Zero 2018inHIROSHIMA」の発言者。中央が李さん=2018/08/04、広島市
 今日は、世界大会・広島の第2日目です。
 午前は、平和公園の原爆資料館見学、午後は特別集会「非核平和の朝鮮半島とアジア 日本の役割」参加、夜は新スポーツ連盟の「2018年反核平和マラソン交流の夕べ」に参加です。
 天気は、晴れでした。
 行進が終わったので、暑さを気にしなくなりました。
 昨日、平和行進の終結集会終了後、福岡県北九州市戸畑区の北九州健康友の会「ケアハウスふれあい戸畑」から託された折り鶴を、通し行進者たちで「原爆の子の像」の所に捧げました。その写真を撮り、医療施設へメールで送りました。
 参照 takeda-a.net/18-7-19
 原爆資料館見学は、李さんと竹田で行きました。
 李さんは熱心に見てまわり、私の予定した時間を大巾に越えました。
 その後、平和公園にある「韓国人被爆犠牲者慰霊碑」で黙祷を捧げました。
 碑文には、「2万余名の韓国人が一瞬にしてその尊い人命を奪われた」と刻まれてあります。
 北朝鮮出身者は、含めていないようです。
 含めれば、もっと多くなるでしょう。
 長崎市の平和公園にある、長崎原爆朝鮮人犠牲者「追悼碑」の案内文には、「被爆した人は約2万人、そのうち爆死者は約1万人」だったと書いてありました。
 参照 takeda-a.net/16-6-28
 午後の特別集会参加は、だいぶ遅れてしまいました。 満席で、座る椅子がありませんでした。
 南北会談、米朝会談が、核兵器廃絶へ向けた大きな一歩になると、論議されていました。
 朝鮮半島の出身者で、被爆した人が9万人いるとの報告もありました。
 はっきりした人数は不明ですが、日本植民支配の結果として、朝鮮半島の出身者の多くが犠牲になりました。
 被爆を体験した日本人と朝鮮半島の人々の、反核・平和の連携運動が、北東アジアの非核化に大きな力になると思いました。
 夜の「反核平和マラソン交流の夕べ」は、反核平和マラソンがはじまった経緯を、当事者から聞きました。
 36年前の1982年、大阪から京都まで54㎞を44人で走ったのが始まりです。
 それが波及して、今年は19都道府県で実施されています。全国へ広がるのが目標だそうです。
 昨夜の青年交流の写真と、李さんの発言をビデオで紹介します。
 李さんとは25日間一緒でしたが、日本語で、これほど話すと感動しました。毎日の行進で、何を伝えるべきか学んだと思います。
 その青年交流会では、発言したイギリスの女性が、「核兵器の廃絶は私たち青年が引き継ぎ、私たちで終わりにしたい」と、決意を述べました。初めて聞く表現で、青年たちは素晴らしいと感銘しました。

 
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