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朝鮮通信使の人形 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
相良人形制作元訪問 米沢市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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訪問しようと思ったのは、2016年に山口県を平和行進したとき、下関市で「朝鮮通信使上陸港之地」見学や、上関町で「朝鮮通信使をユネスコ遺産へ」の幟旗を見たことが動機です。 参照 16-7-21.html 参照 16-7-30.html その後、2017年と翌18年に、韓国釜山市の「朝鮮通信使歴史館」を見学し、朝鮮通信使の通らなかった山形県米沢市や青森県弘前市などで、通信使の人形を作っていることを知った驚きです。 参照 takeda-a.net/a-korea17-03-25 takeda-a.net/a-gotisokan17-07-03 takeda-a.net/a-korea18-10-07 takeda-a.net/a-korea18-10-14 このたび、米沢で他の要件ができたことから、早めに出かけ、制作元に問い合わせなしの訪問でしたが、お母さん(七代目の相良隆氏の夫人)がおられ、快く迎えて頂きました。 訪問の経緯を話しますと、奥から朝鮮通信使の人形を探し出されました。 話しがすすみますと、相良人形の制作を見せて下さるとのこと。思ってもいなかった喜びです。 その上、茶の間でお茶を頂きました。 人形作りは、江戸時代の米沢藩主上杉鷹山公の時代(1761~1822)に、親衛隊を務めていた相良清左衛門氏が、藩財政立て直しの一翼として陶器制作を習得し、藩内の陶器需要を満たしことから、さらなる発想として生まれました。 清左衛門氏は、若年より文武両道はもとより諸芸に通じ、特に彫刻が得意だったそうです。その特技を土人形作りに応用し、素朴さの中に優美と物語りある作風を確立しました。 代々伝承されましたが、六代目の昭和18年に日本政府の戦争まっしぐらで、廃業やむなきに至りました。その後、七代目の相良隆氏が昭和42年に再興し、現在の八代目隆馬氏に引き継いでいます。 お母さんから、戦後の苦労話など伺っていますと、七代目が私の学んだ高校(米沢工高)の先輩と分かりました。そして、八代目も同校卒と知りました。 話しがはずみ、初代の清左衛門氏は、朝鮮通信使の行列(第11回目1764年)を、江戸で見物した可能性を知りました。参勤交代のときは、清左衛門氏が藩主の親衛隊で上杉藩江戸屋敷へ行っていたことを、お母さんが伝え聞いていると話されたからです。 もし、見物するチャンスがなかったとしても、江戸の絵解きなどで、見ていたことに間違いないでしょう。 その感動を人形に表現し、米沢の人たちに伝えたのでしょうと、お母さんと私の意見が一致しました。 工房では、昨今「猫に蛸」の注文が殺到し、応えきれないそうです。全て手作りなので、大量生産が無理なようです。 「猫に蛸」は、招き猫の上に蛸(多幸)が乗り、多幸を招く意味合いで、若い人に人気だそうです。 思っても見なかった展開で、たいへんお世話になり、ありがとうございます。 しばらくぶりの米沢で、夕食に「米沢牛ラーメン」をたべました。高校時代に、松川(最上川)河原で食べた「芋煮会」の米沢牛の味が蘇り、至福な米沢でした。 |
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