竹田昭彦・日誌(#25)・7月21日(木)  

福岡から山口へ引き継ぐ

 
歓迎 国民平和大行進のポスターで迎えられ=2016/7/21、北九州市門司区  
 
社会民主党、日本共産党の旗もなびく
=2016/7/21、北九州市門司区
 
 
団体リレー旗も関門海峡を渡る
=2016/7/21、下関市の唐津公園・引継集会
 
 今日は、福岡県から山口県へ引き継ぎます。
 福岡県は、北九州市役所の訪問と小倉北区の行進、門司区役所訪問と行進です。
 そして、門司港マリンゲート前で、福岡県行進の終了集会です。
 その後、山口県へ渡り、下関市の唐津公園で福岡から山口への引き継ぎをします。
 山口県の行進はありません。
 天気は、晴れで暑かったです。夏本番になってきました。
 9時10分、北九州市の市役所前で出発集会が開かれ、市長のメッセージを実行委役員から披露されました。
 集会で挨拶をした団体の方が、1945年8月9日、旧小倉市の上空が曇りで視界が悪く、原爆の投下が小倉から長崎へ変更されたことから、小倉を「準被爆都市」と表現しました。
 私は、「準被爆都市」の言葉を初めて聞きました。
 曇り空は、前日(8月8日)の八幡大空襲火災の延焼の煙の影響を無視できません。
 八幡大空爆がなければ、晴れだったろうと言われます。
 その意味も含めた、心情表現の一つと聞き取りました。
 10時50分、手向山公園のトンネル前で小倉から門司へ引き継ぎ、行進へ移ると、沿道に「歓迎 国民平和大行進」のポスターが張られ、元気を貰いました。今年は、80枚ほど張ったそうです。
 参照 http://www.takeda-a.net/09-7-17
 午後1時、JR門司駅前で歓迎集会が開かれ、社会民主党門司支部の代表者から、激励の挨拶を頂きました。行進へ移ると、社会民主党の方たちが党旗を掲げ歩かれました。
 日本共産党の旗もあり、門司では両党とも平和行進参加を継続しているそうです。私は、これまでの行進で、社会民主党の旗を見たことがありませんでした。
 イ・ジミンさんは、門司駅前の集会で挨拶をして、帰国の途につきました。イ・ジミンさんが、長崎から肩に掛けてきた「国際青年リレー行進」のタスキに、日本の通し行進者4人は完踏のガンバリと活躍を願う連帯サインをして、再会を願いました。
 午後3時30分、門司区役所で歓迎集会が開かれ、区長メッセージを幹部の方から披露されました。門司区役所は、高台にあり、関門海峡が眼下に見え、景観のよいろころです。
 午後4時、門司港マリンゲート前で福岡県行進の終了集会が開かれ、その後、通船で下関へ渡りました。
引き継ぎ集会まで時間があったので、「朝鮮通信使上陸港留之地」碑を見学しました。キムさんは、歴史に関心が高く、喜んでいました。
 午後5時45分、下関唐戸公園で、福岡から山口への引き継ぎ集会が開かれ、九州から本州へリレー横断幕や団体旗、そして通し行進者が無事に渡ることができました。
 沖縄、九州のみなさま、誠にありがとうぞございます。
 今日の行進は、6区間を参加者70~60人前後で13.3㎞歩きました。

 
  copyright(c) takeda akihiko all rights reserved.