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韓国ピース・ツアー(2)
⑤ 朝鮮通信使を 世界遺産へ!
朝鮮通信使の行列風景をデザインした街灯
=2017/3/25、釜山市・子城台公園
 
山口県上関へ寄港した朝鮮通信使の船団(大きな白い帆の6隻)図。周囲の小舟は日本の警護船、荷船、先導船
=2017/3/25、釜山市の朝鮮通信使歴史館
 
 
忠烈祠の全体案内図
=2017/3/25、釜山市
 
 
忠烈門の額がある本殿
=2017/3/25
 
 
釜山市のチャガルチ魚市場
=2017/3/25
 
 ● 25日午前 朝鮮通信使歴史館を訪問しました。
 朝鮮通信使は、室町時代から江戸時代にかけて、朝鮮より日本へ派遣された外交使節団で、対等友好に行われました。
 参照 a-tushinsi-16-11.html
 歴史館は、子城台公園の一角にあります。館脇の広場の街灯上部の装飾に、通信使の行列風景が飾ってありました。粋なデザインで、近親感を覚えました。
 次に見たのは、永嘉台。釜山から日本へ渡る海路の無事を祈る海神祭を行う建物です。四方が吹き抜けの、舞台風に造られていました。(本来は別の場所にあり消失。現位置に再建)
 通信使は、ソウルで結団されて陸路を釜山まで来て、海神祭を行い海路で大阪まで行き、その後は江戸へ陸路で向かいました。
 往復、6ヶ月から1年かかる大使節団でした。決死の覚悟だったかも知れません。
 館内展示品で注目したのは、日本列島地図上へ、日本各地に伝わる通信使の人形の写真と説明と、実物展示があったことです。そして、通信使が通らなかった東北の山形県米沢市の「相良人形」、青森県弘前市の「大河原人形」の存在を知り、驚きました。
 通信使を迎えた江戸幕府は、全国の藩が一丸となって取り組んだので、その影響が全国へ広がったのでしょう。
 通信使に付きそう日本人を入れると、行列は千人規模だったそうです。
 行列は、楽隊や踊りなどを披露しながら進み、今で言うパレードだったのでしょう。今でも、通信使のパレードをしている所があります。
 滋賀県には「朝鮮人街道」をつくり、専用道路として優遇した道が残っています。
 ● 25日午後 釜山市の忠烈祠(チュヨルサ)を訪問しました。
 忠烈祠は、豊富秀吉が起こした朝鮮侵略戦争(1592~1598年)で、亡くなった人々を弔う施設です。
 忠烈祠は、山の斜面を利用した階段風で、建物は中国の様式に似ていました(写真1~2段目)
 祭殿が幾つもあり、威厳を感じました。
 1600年代に造営され、今も、年3回の重要な行事を行っていました。
 それを知るなり、朝鮮半島の人々の並々ならぬ歴史の重みを強く知ることができました。
 そのことと、「平和の少女像」の設置運動は、同根で深い問題だと思います。
 「平和の少女像」の設置を、行政が黙認や擁護するのを納得です。
 その思いを、日本政府が真に理解しないと、少女像問題が本当に解決しないと思います。
 ● 朝鮮通信使をユネスコ記憶遺産へ
 今回の旅で、韓国が朝鮮通信使をユネスコの記憶遺産へ、登録する運動をしていることを知りました。
 日本でも、通信使が通った関連自治体や団体などが、「朝鮮通信使ユネスコ記憶遺産日本推進部会」をつくって運動しています。
 朝鮮通信使が築いた、「誠信之交隣」の対等な友好親善の精神へ立ち戻るのには、通信使のユネスコ記憶遺産登録運動を両国の強い連携で行えば、世論の喚起に大きな力になると思いました。
 昨年、平和行進で「長崎→広島」コースを通し行進しました。そのとき『「朝鮮通信使」をユネスコ記憶遺産へ』の幟旗を見たのは、山口県の上関町だけでした。
 参照 16-7-30.htm
 ● 昼前に寄ったチャンガルチ魚市場は、多様な海産物が山積みされ、賑わっていました。
 今回の旅で、日本と朝鮮半島の人々が「誠信之交隣」の精神を取り戻し、軍事力に頼らない、対等で友好な関係を築かねばならないと、強く認識する良い旅でした。

 
 
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