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竹田昭彦・日誌(#39)・7月31日(水) | ||||||||||||||||||||
夏本番 36度を歩く | ||||||||||||||||||||
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天気は、晴れで、暗雲がなくなりました。 夏本番の到来で、たいへん暑くなりました。 9時、武雄市役所前で出発式が開かれ、今日の担当団体の杵藤原水協の宮後登さん(年金者組合)が行程を説明され、通し行進者を代表してアン・スギルさんが挨拶しました。スギルさんの日本語の挨拶には、大きな拍手がありました。 武雄から有田へ向かうには、坂を上るコースとなります。武雄市の有田町に接する山内(元山内町)が盆地で、標高が高いからです。 コースの35号線は、曲がりくねって歩道の無いところが多くあります。それも、車道の路肩にガードレールがあり、路側の白線を踏んで歩きました。 JR佐世保線の武雄駅から永尾駅にかけては、電化前は蒸気機関車2台で上りました。 参照 http://takeda-a.net/17-7-31 11時、2回目の休憩を永尾駅で取りました。 駅舎は、外装がリニューアルされ、駅の向にはコンビニができ、2年前の雰囲気と大きく変わっていました。コンビニで買ったアイスキャンデー・バーが配られ、全員が食べました。普通は、食べない人もありますが、ここでは皆が喉を潤しました。 正午、武雄市の山内公民館の和室で、昼食・休憩を取りました。食後、仮眠する人が多かったです。 午後の行進がはじまり、暑さは増すばかりです。 国道35号線に設置された「走行注意」の気温表示計は、36度を点滅していました。一同、「オー・高い」と叫びました。車は、エアコンが効いているので、「走行注意」は歩行者でしょう。 午後3時40分、有田町の東出張所(旧有田町役場)で歓迎式が開かれ、町長メッセージを川久保常徳総務課長から披露頂き、町長名のペナントと職員からの被爆者国際署名263筆を私が受け取りました。 3年(1916年)前に訪問したときも、川久保総務課長からペナントを託されました。面談して激励を頂きました。ここで、今日の行進が終了です。 有田は、日本の磁器の発祥地です。有田焼は、山内(武雄市)と有田町につながり窯元があります。 有田焼の輸出港が伊万里でしたから、別名伊万里焼で名が通りました。 時間があったので、今右衛門古陶磁美術館、販売店、陶山神社、泉山磁石場を見てまわりました。 美術館と販売店をまわるのは、初めてです。 有田は、何回行進しても、わくわくする町です。 参照 http://takeda-a.net/17-8-01 http://takeda-a.net/16-7-05 http://takeda-a.net/09-7-31 http://takeda-a.net/04-7-06 今回、有田でも磁器による手榴弾がつくられたことを知りました。 参照 http://takeda-a.net/07-7-17 今日の行進距離は、25人前後で1市1町を15.8㎞歩きました。 |
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