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竹田昭彦・日誌(#28)・7月31日(月) | ||||||||||||||||||||
酷暑と戦う | ||||||||||||||||||||
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天気は、晴れで、酷暑でした。 有田町へ入る手前の国道35号線の温度表示が38度(午後2時14分)で、一同ビックリしました。初めて見る高温です。「温度計が壊れているのでは」、との声が出るほどでした。 9時、武雄市役所で出発集会が開かれ、市長メッセージを副市長から披露されました。 そして、昨日の嬉野市の最高気温が37.8度あったので、身体に気をつけて下さいといわれました。 続いて、被爆者二世の前田一美さんから挨拶を頂きました。 行進へ移ると、「今日は長い上りがある」と、県内通し行進者の宮後豊さんが話します。自分に気合いを入れている様子です。 1.5㎞ほど歩いて、コンビニで休憩となりました。 そこからの上りに備え、氷を買い帽子に入れました。 国道35号線の上りは、3㎞以上続きました。歩道の無いところが多く、車道側端の白線とガードレールの間、数10㎝のスペースを一列で歩きます。大型車が通ると、風圧の影響もあります。 ひたすら思うのは、つぎの休憩所が「未だか、未だか」です。 行進コースと並行に走っているJR佐世保線は、昔は蒸気機関車が後ろにもつき、2台の力で上っていたそうです。 その経緯を、郷土史に詳しい宮後さんが解説されました。宮後さんは、佐賀県の工業高校の先生でしたから、山形県の工業高校で学んだ私と、何かと話しが合いました。 10時30分、上りの途中で休んだ永尾駅は、元信号所で、その後に住民の浄財で駅を造ったのです。駅には、その碑があります。 参照 takeda-a.net/04-7-09 ここが、上りの頂上かと思いきや、上りは更に続きます。 元気を出して、対向車に手を振ると、数10台に1台の位の割合で、手が振られました。 午後1時、昼食・休憩をした武雄市の山内公民館を出発、平坦なコースになり、有田町に入ると下りです。 午後3時25分、有田町役場の東庁舎に着き、歓迎集会が開かれ、町長メッセージを総務課長から披露され、労をねぎらって頂きました。 連日、酷暑との戦いで、団らんなどの余裕ありませんが、通し行進者一同、暑さ対策を駆使して頑張っています。 今日の歩いた距離は、7区間を20人前後で15.3㎞です。 |
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