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竹田昭彦・日誌(#18)・7月10日(水) | ||||||||||||||||||||||||
日出町を行進 | ||||||||||||||||||||||||
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天気は、雨が降ったり、止んだりでした。 9時、大分市の宿を宣伝カーで出て、50分かかり、別府市の別府大学駅に着きました。 9時55分、駅前で出発式が開かれ、行進へ移りました。雨が降り、カッパの上着を着ての行進です。 対向車に手を振ると、車窓から手を振る方が多くあり、元気をもらいました。 11時25分、関の江の大型スーパーに到着し、集合記念写真を撮り、別府市の行進が終わりました。そのときは、雨が止みよかったです。 宣伝カーから流れるスポットは、7日からナレーションとナレーションの間の音楽をカットし、編集したものを使っています。使ってみると、違和感なく一定の音量で流れ、問題がありません。運転手の音量操作も、楽になりました。 参照 http://takeda-a.net/19-7-04 午後1時、日出町の豊後豊岡駅前で、別府市から日出町への引継式をしました。 その後、宣伝カーで移動です。 午後1時30分、日出町の陽谷駅近くの日出町立図書館前から行進が出発しました。雨が強くなり、カパの上下を着ました。ここでも、対向車に手を振ると、車窓から手を振る方が多くありました。 午後1時20分、日出町役場を訪問し、副市長、議会事務局長にお会いしました。 副市長は、私が濡れたリレー横断幕を、テーブルに置くのをちゅうちょしていると、壁の方に掛けるように手伝われました。気さくな方だと思いました。 副町長の挨拶では、子どもと一緒に広島と知覧(鹿児島県)へ行った話しをされました。子どもは、特攻兵士の死を知り、涙したそうです。副町長は、反戦平和を強く訴えられました。行進に移ると、副市長は行進が見えなくなるまで見送られました。日出町からは、町名と議長名のペナントを託され、被爆者国際署名を議長名と職員から15筆等を頂きました。 日出町は、旧海軍の特攻兵器「回天」(人間魚雷)の 訓練基地があったところです。 参照 http://takeda-a.net/06-7-15 http://takeda-a.net/16-7-27 その基地で、回天の整備兵だった富山県射水市の江尻鉄雄さん(91歳)は、私が平和行進に参加する度、激励くださっています。2003年の富山の行進でお会いした方です。 今回、訓練基地跡と回天神社に行く時間がありませんでしたが、回天神社に植えた被爆クスノキ2本は、大きく育ったそうです。 3時10分、日出駅で今日の行進終了です。 今日の行進距離は、2区間を20人前後で6.9㎞歩きました。 |
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