竹田昭彦・日誌(#19)・7月11日(木)    
核兵器禁止条約の批准を求め
杵築市が意見書採択

濡れたゼッケンを宣伝カーのボンネットに干す
=2019/07/11
、杵築市
 
杵築城を見ながら行進=2019/07/11、杵築市
国東市長記名のペナントを徳部吉昭財務課長(右)から受けとる=2019/07/11、国東市役所
国東特産の「太刀重」
=2019/07/11
国東市・駅の道くにさき
 今日は、杵築市(きつきし)、国東市(くにさきし)の行進と市役所訪問です。
 天気は、しばらくぶりの晴れで、蒸し暑かったです。
 7時55分、大分市の宿を宣伝カーで出て、65分かかり、杵築市の杵築城下(裏門)に着きました。
 大分県の行進は、参加者が「核兵器全面禁止」「被爆者援護連帯」等のゼッケンを付けて歩いています。
 2006年のときも付けていた(当時は青地に白抜き文字)ので、伝統のようです。今日は、朝から晴れたんで、宣伝カーのボンネットに干しました。
 出発式まで余裕があったので、杵築城に登って見ると、途中に数多くの石造碑がありました。気になったのは、他より大きな「孝女」「孝子」碑です。説明文には、一般庶民の娘、息子が小さいときに父が亡くなり、母を助けて働いた親孝行が書いてありました。
 「孝女」「孝子」の顕彰は、徳川5代将軍綱吉のころから江戸後期にかけ、幕府や藩によって盛んに行われようです。初めて知り、関心をもちました。
 石造碑は「城山公園石造物群」として、市の文化財に指定されていました。
 10時、出発式が開かれ、行進へ移りました。
 参加者は11人です。昨年も11人だったそうです。青年が8人、年配は私を入れて3人です。青年が多数で、世代が若返っています。
 コースは、凹状の地形でアップダウンが多いです。
 山に城や武家屋敷があり、谷に民家がある構築です。谷間がメーン通りで、商人の町になっていました。観光地図を見ると、坂の名前がたいへん多いです。
地本では、山に挟まれたサンドイッチの町と言っていました。和服が似合う、江戸情緒の町です。
 10時50分、杵築市役所を訪問し、副市長、議長にお会いしました。
 議長訪問のとき、日本政府に「核兵器禁止条約の批准を求める意見書」を、昨年12月に採択したことを知りました。県下では、豊後高田市に次ぎます。
 杵築市からは、市長名と議長名のペナント等を頂きました。
 11時50分、行進が杵築城下の出発地点に戻って終わりました。その後、宣伝カーで国東市へ移動です。
 午後1時、国東市の「道の駅くにさき」で、杵築市から国東市への引継式が開かれ、行進へ移りました。
 対向車に手を振ると、晴れで行進がよく見え、多くの車窓から手が振られ、嬉しくなりました。
 午後2時、国東市役所で行進が終わり、市役所を訪問しました。
 市長、議長は急務があり、財政課長と議会事務局長にお会いしました。
 国東市からは、市長記名の署名、職員からの署名15筆、ペナント、議長記名の署名、ペナント等を頂きました。
 午後2時50分、昼食で「道の駅くにさき」に寄り、国東特産の「太刀重」を食べました。太刀魚のウナギの蒲焼き風味です。身が柔らかで、旨かったです。
漁協の直営店で、平日は11~15時(祝祭日16時)だけの営業です。
 ここの売店で、くにさき七島藺(シチトウイ)表の置物敷(40×30㎝、\2000)を購入しました。七島藺は藺草の5、6倍の強さがあり、柔道の畳などに使うそうです。国東半島が日本一の生産地ですが、現在は加工しやすい藺草に押され、生産量が大巾に減少したそうです。七島藺は断面が三角形で、パピルスに似ています。
 今日の行進距離は、2市を11~15人で5.7㎞歩きました。

 
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