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与論島・沖縄返還
記念碑を訪ねる

母国復帰記念(右)魂が宿る自然石=2024/11/23、与論町・南端  
 
“母国復帰記念”碑=2024/11/23、与論町・南端  
 
“母国復帰記念”碑の前方に沖縄本島が見える(写真中央は海上集会の説明板)=2024/11/23、与論町・南端  
 
“祖国復帰闘争碑”(沖縄本土・北端)
=2024/11/26、国頭村・辺戸岬
 
 
国境の北緯27度線をはさみ沖縄祖国復帰運動初の海上集会(手前が与論島の船団)
=2024/11/26、国頭村・辺戸岬(観光案内所展示より)
 
 
米軍辺野古新基地建設反対闘争坐り込みテント(右)左がキャンプシュワブ
=2024/11/26、名護市・辺野古
 
 
米軍辺野古新基地建設反対闘争坐り込み小屋=2004/09/18、名護市・辺野古海岸  
 
米軍辺野古新基地建設反対闘争坐り込み小屋=2005/06/19、名護市・辺野古海岸  
 ●2024年11月23日(土)、鹿児島県奄美郡与論町(与論島)を訪ね、島の南端に建立された「母国復帰記念」碑を見に行きました。そして、翌日はヨロンマラソンを走る旅です。
 朝7時、那覇港から出て与論港へ昼に着き、茶花の宿から徒歩で見に行きました。観光地図を頼りに、40分ほどで碑のある与論城跡に着きました。
 城跡先の歩道を上って行くと、碑は丘の頂上左側にありました。思っていたより小さかったです。そして、碑に添うように大きな岩が立っていました。与論島産出の石灰岩です。それは、与論島の原始信仰の拝所(ウガン)の意味が込められていると思いました。戦争のない、平和な世界を願うシンボルです。帰路、城跡にある地主(とこぬし)神社の由来を伺うと、明治維新の廃仏毀釈で与論島に高千穂神社を建立するさい、その妨げとなるウガンの神々を合祀した神社と知り、碑造形の解釈を裏付けました。
 ●記念碑は、沖縄本島北端の辺戸岬を見ています。その距離約22㎞です。中間の海上の北緯27度線が、沖縄本土復帰前の日米間の国境です。
 碑の前には、沖縄本土復帰40周年記念で設置した案内板がありました。説明文と写真3枚が記され、1963年4月28日に沖縄祖国復帰海上集会を、初めて開いた様子が書かれています。碑の隣で、墓を掃除している人に聞きますと、「その日は両海岸で松明を掲げ、凄かった」と言っていました。
 海上集会は、日本国民の怒りの象徴となり、返還運動の弾みとなりました。
 ●26日(火)、那覇市から沖縄在住ののTさんの車に乗せてもらい、辺戸岬へ行きました。出発は晴れでしたが、途中から曇り、到着時は風雨が激しくなりました。傘もさせず、なんとか写真を撮ることができました。実際に見れただけで感動です。碑文を、隣接の辺戸岬観光所でもらって読むと、「祖国復帰闘争碑」の通り、復帰で終わりではなく、続く米軍基地の鉄鎖に繋がれた圧政を止めさせ、基地のない沖縄を目指す決意が込められていました。
 ●与論島で見た案内板の写真を、観光案内所で詳しく見ることができました。北緯27度線を挟み、熱い叫びが聞こえてくるようでした。その当時、私は川崎市で働いており、知人が海上集会に参加していましたので、なおさらです。
 日本が起こした侵略戦争は、1945年8月15日、ボツダム宣言受諾で終戦となりました。そして、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」(八)とされ、北海道の歯舞色丹諸島や鹿児島県の奄美群島(与論島含む)などや、沖縄県が連合国の統治下になりました。
 ●帰路、名護市辺野古の米軍海兵隊基地(キャンプシュワブ)前で、辺野古の新基地建設反対の坐り込みの小屋を訪問しました。小屋は、基地正面ゲートの斜め前ですが、丁度、正面ゲートの出入り口で警備員と対峙の坐り込み中でした。駐車が無理で、小屋におられた人に連帯の気持ちを伝え、写真を撮ってもらいました。かって、小屋がが海岸線にあったとき、2度訪ねたことがありました。沖縄県の米軍基地撤去運動が、日本未来を切り開く偉大さを、改めてかみしめました。
 ●上から5段目の写真は、2004年9月18日、神奈川県の沖縄平和訪問団の一員で参加したとき、キャンプシュワブ海岸小屋で撮りました。そのとき、坐り込み参加の心得に、暴力的な行動を絶対しないように言われました。そして、「守れない人は帰って下さい」とのことです。今も強い印象に残っています。一寸でも、警備や警察の人に手を上げる仕草をしただけでも、公務執行妨害で逮捕され「犯罪者」に仕立てられ、連帯運動の分断と弱体化になるからです。
 ●上から6段の写真は、昨年に続くキャンプシュワブ海岸小屋訪問で、2005年原水爆禁止平和大行進「沖縄→長崎コース」の通し行進者の参加で、スタート日でした。
 参照 takeda-a.net/05-6-19
 2018年には、「沖縄→広島コース」の通し行進者の参加をしました。
 参照 takeda-a.net/18-6-04
 *米国統治下の与論島は1953年12月25日に復帰しました。同沖縄県は1972年5月15日に復帰しました。
 今日の車の走行距離は250㎞余におよび、Tさんにはガイドを兼ねてたいへんお世話になりました。   
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