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核兵器廃絶・ベトナム枯葉剤被害者支援(5) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
600名の学生がツルを折る | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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トン・ドゥック・タンは、ベトナム解放後の第2代国家主席です。 天気は、晴れでした。 7時50分、トン・ドゥック・タン大学に着き、原爆パネル展の準備をはじめました。 既に準備の学生が10人ほどおり、手伝ってくれました。 展示が終わるころから学生が続々と集まり、展示を見ていました。女子学生のほとんどは、ピンク色の伝統着物のアオザイを着ていました。満開のサクラのようす。ピンク色は、幸せの色だそうです。 9時、会場のスクリーンに交流会「原水爆禁止日本協議会及び協被爆者とトン・ドゥック・タン大学の学生及び教職員」の文字が映し出されました。 開会直後は、学生による歌「ベトナムにようこそ」など2曲が披露されました。 その後、開催の経過や主旨が話され、各代表者のホーチミン平和委員会副会長のフイン・ブック・ヴァン氏と、日本原水協代表理事の高草木博氏が挨拶しました。 高草木氏は、学生に講義するような語りかけで、核兵器禁止条約の世界の平和に導くプロセスを話され、私も勉強になりました。 続いて、枯葉剤被害者と原爆被爆者の体験が話されました。登壇した枯葉剤被害者のトン・ティ・ホアンさん(女性)は、両足が無い上、左り手が上部しかありませんでした。生まれて間もなくは、誰も、なぜそうなって生まれたのか、知らなかったそうです。しばらく経って、枯葉剤の被害と分かり、8歳にとき施設に入ったそうです。 その障害に人生を苦しみ続けながら、同じような入所者と励まし合い、障害を訴える生き方に立ち得たと話しました。米国の枯葉剤製造会社を訴える裁判もしたそうです。そこまでいたる苦難の道を思うだけで、涙が出て止まりませんでした。 これまで、枯葉剤の被害者とお会いした人達は、笑顔で生き生きしておられ、そこまでたどり着いた苦難がないようにも見られ、未来を信じて生きる姿に感銘を受けています。 交流会は半ばに入り、ハノイ大学と同じように壇上で、ホーチミン市側の実行委員会の各代表者が、国際被爆者署名にサインしました。 次に、学生の各代表がサインしました。 最後は、折り鶴の「折り紙教室」が開かれ、会場の学生600人が一斉に折る風景となりました。数羽折る学生もあり、圧巻でした。 その鶴を、日本の代表団に託されたので、広島・長崎に届けます。 午後は、ホーチミン市の中心部から70㎞ほど離れた、郊外(車で1時間30分ほど)のクチ地区へ行き、クチトンネル歴史遺跡を見学しました。 ここを見学するのは3回目です。今回は、体重が増えたのと筋力低下で、トンネルに入るのを止めました。 クチ地域の地下トンネル・ゲリラ作戦は、兵士と農民・住民が固い絆で戦い、1975年4月30日のベトナム解放に大きな戦力となりました。 ジャングルの各地に落とし穴や、虎挟み、地雷などを仕掛け、高射砲で米軍機を追撃し、戦車の側面に忍び寄りキャタビラを破壊して使用不能にするなど、米軍を追い詰めました。そして、夜間には農作業に励んだそうです。 |
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