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核兵器廃絶・ベトナム枯葉剤被害者支援(6)
統一会堂 見学

右からグエン・ホン・ロイさん、トン・ティ・ホアンさん、筆者=2019/11/23、ホーチミン市
後方左がホーチミン市枯葉剤被害者協会副会長のグエン・ティ・ゴック・フオンさん、右が原爆被爆者の西本多美子さん
=2019/11/23、ホーチミン市
統一会堂=2019/11/23、ホーチミン市
 23日、公式行事が昨日で終わり、ホーチミン市の統一会堂などを見学です。
 天気は、日中晴れでしたが、日が暮れると雨天になりました。

 10時、宿を出て統一会堂へ向かう途中、ホーチミン市の枯葉剤被害者協会に寄ると、副会長のグエン・ティ・ゴック・フオン氏から、昼食の招待がありました。
 副会長は女医をされ、ベトナムの枯葉剤被害者協会設立や、大量無差別化学兵器の廃絶運動に大きな尽力をされている方です。
 昼食会には、昨日のトン・ドゥック・タン大学で枯葉剤被害の実相を証言したトン・ティ・ホアンさん(33歳)とカメラマンで活躍したグエン・ホン・ロイさん(32歳)も同席しました。
 ホアンさんに、昨日聞いた米国の枯葉剤製造のダウ・ケミカルとモンサントを訴えた裁判の結果を伺うと、成功しなかったそうですが、その闘いをベトナム国民に勇気を与えたと言われました。
 ロイさんは、ホアンさんと同じように両足がなく、手は右手が上部だけです。
 副会長は、来年の原水爆禁止世界大会へ、両人を派遣したいと話していました。
 来日されたなら、日本訪問が良かったと思われるよう、微力ながら力になりたいと思っています。
 午後、統一会堂を訪問しました。
 この建物は、かっての南ベトナム政府の大統領官邸でした(1966年から1975年)。
 
ベトナム戦争で、南ベトナム解放民族戦線軍(略称=ベトコン)が1975年4月30日に侵攻して陥落し、「無血開城」でベトナム戦争が終結したのです。
 ベトナムは、外国との侵略戦争が200年続いたと言われます。
 統一会堂は、ベトナム国民が勝ち取った祖国統一、自主・独立のシンボルです。
 陥落が近づくと、米軍と南ベトナムの為政者は先を競って米国に逃れました。
 そのとき使ったヘリコプターが、発着場の屋上に展示してありました。
 揶揄するマンガとして、為政者が米軍のヘリコプターの窓枠や足に、しがみつく姿を見たのを思い出しました。
 ここを初めて訪問したのは、1996年1月の第4回ホーチミン・シティマラソン大会でした。統一会堂前がスタート・ゴール地点で、市街地から郊外やサイゴン川周辺を、ベトナム笠をかぶり42.195㎞走ったのをなつかしく思いました。

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