41回いぶすきマラソンを走る
竹田 昭彦
スタート前にサツマイモ(焼き芋)を食べる筆者(右から2人目) 後方には蒸かし釜が10基ほど湯気を上げていた
=2024/01/14、指宿市・陸上競技場
スタート直前にパチリ(左が筆者)
=2024/01/14、指宿市陸上合競技場脇の路上
連続41回目参加の李齋藤富士男さん(延岡市在住・87歳)
=2024/01/14、35㎞過ぎ・旧山川町
 2024年1月14日(日)、鹿児島県指宿市の第41回いぶすき菜の花マラソンを走りました。この大会の参加は、4回目です。
 9時スタート、5分後にスタートラインを踏みました。
 そして、コースの関門の29㎞6時間、35㎞7時間以内の通過を気にしながら、1㎞を11~12分のペースで走りました。速歩より遅いので、越されるばかりでした。
 そのペースで進むと、10㎞手前で声を掛けられました。第1回目から参加している宮崎県延岡市の齋藤富士男さん(87歳)です。同じペースでご一緒しました。齋藤さんと初めて会ったのは、18年前の宮崎県の平和行進(2006年)です。その時に、日本人で最初に反核平和マラソン(1981年)を始めた人と知りました。反核平和マラソン史に残る方です。
 参照 18-01-ibusuki
     19-7-02.html
 同じペースで、齋藤さんと29㎞の関門を5時間43分台、35㎞を6時間58分台で無事に通過しました。
 だが、35㎞通過後の間もなく、齋藤さんの体調に異変が起き、私が先行することになりました。
 私のゴールのタイムは、8時間28分16秒(ネット8時間22分30秒)でした。
 齋藤さんとは長時間、人生を語り合う、心に残る大会でした。そして、来年も参加すると語り合いました。
 (注) 2021年が第40回目でしたがコロナ禍のため2年延期され、昨23年が第40回目で、今24年が41回目となりました。
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