竹田昭彦・日誌(#10)・7月02日(火)    
宮崎から大分へ引継

雨天の延岡市を行進五ヶ瀬川を渡る
=2019/07/02
、延岡市
「反核平和マラソン」を走る竹田(左から2人目)
=2019/07/02
、大分県佐伯市
国際青年リレー行進」のタスキを大分(右)へ引き継ぐ=2019/07/02、大分県佐伯市・JR重岡駅
佐伯市を行進=2019/07/02、大分県佐伯市
 今日は、宮崎県から大分県へ引き継ぎます。
 
宮崎は、延岡市役所訪問と行進です。
 大分は、佐伯市の行進です。
 天気は、昼過ぎまで雨天で、大分県に入った午後は止みました。
 昨夜は、宮崎市から宿が替わり、延岡市に泊まりました。もし、宮崎市から「通勤」すれば、3時間かかります。
 延岡の宿は、官庁街で、市役所など徒歩の範囲です。
 6時40分、延岡裁判所からスタートした、全司法労組の「反核平和マラソン」を見送りました。
 ランナーが、雨天の中、元気に出て行きました。
 9時過ぎ、延岡市役所へ行くと、庁舎前に10数㍍もある電光掲示塔があり、雨間に「人類共通の願い 核兵器廃絶と恒久平和」が2色で点灯していました。
 文字の固定塔とは違い、目立ち、行政の進歩を感じました。文字が変わり「熱中症に注意」もありました。
 
10時、延岡市役所で出発式が開かれ、副市長、議長から激励の挨拶と、被爆者連帯募金を頂きました。
 私の挨拶では、今朝、延岡裁判所からスタートした
反核平和マラソンに触れました。
 このマラソンは、1981年に1人のランナーからはじまり、今年が38年目(第39回)です。
 日本で最初にはじまった「反核平和マラソン」が延岡なのです。私はいつの日か、「反核平和マラソン」誕生之地の記念碑が建つのを願いました。
 参照 http://takeda-a.net/06-7-07
 10時30分、雨天の中、行進が出発しました。
 今日は、宮崎県最後の行進です。中止の声は聞こえず、元気に大分へ向かいました。
 12時10分、宣伝カーで大分県佐伯市のJR重岡駅へ着きました。電車は、日に3本しか止まらないそうです。全国でも、珍しい駅です。
 引き継ぎまで、余裕があり、反核平和マラソンの最後を走ることになりました。
 一緒に走る夢が実現し、500mほど走れ、満足です
 午後1時、重岡駅前で宮崎県から大分県への引き継ぎ式が開かれ、「宮崎→長崎」コースのリレー横断幕、「国際青年リレー行進」のタスキ、各団体旗が無事に渡りました。
 各団体旗の引き継ぎは、写真を撮る間がもたれ、心を継ぐよい場面でした。
 私の挨拶では、宮崎のみなさまにお礼を申し上げ、各自治体訪問で首長、議長、幹部から激励を頂いたこと、そして「一歩でも二歩でも」のお願いで歩かれたことを、話しました。
 とくに、役所の休庁日もかわりなく、たいへん嬉しく思ったからです。
 宮崎の100円募金は、55,043円頂いた報告がありました。
 大分のみなさん、よろしくお願いします。
 引き継ぎ式が終わると、直ぐに大分の行進へ移りました。宮崎のみなさまには、十分なお礼の挨拶をする間もなく、仕方のないところです。
 引継式の参加者は、総勢約70人でした。
 佐伯市の市街地の入った行進では、対向車の車窓に手を振ると、多くの車窓から手が振られました。
 大型車が連続2台手を振られ、めったにないことです。雨天模様が晴れました。
 今日の行進距離は、延岡市を30人前後で1.8㎞歩きました。
 佐伯市は2区間を20~15人で4.1㎞歩きました。

 
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