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シンガポール訪問
血債の塔を見学

シンガポールの中心部の平和公園に建つ血債の塔=2016/12/03、シンガポール
血債の塔の碑名「日本佔領時期死難人民記念碑」=2016/12/03、シンガポール
チャイナタウンのクロス・ストリートとサウスブリッジ・ロードの交差点に建てられた大検証(粛清)検問場跡の記念碑。右は筆者
=2016/12/04、シンガポール
マレーシアで旧日本軍が使用した見張り塔。現在はジョホールバル政庁
=2016/12/05、マレーシア
マレーシアを出たジョホール海峡の橋からシンガポールを見る。左側の3本のパイプは水道管。その右が鉄道。車道は国境を越える車の列
=2016/12/05、バスの車窓から撮影
 2016年12月2~6日、シンガポールマラソン参加を活用して、日本が起こした侵略戦争の犠牲になったシンガポールの人たちの慰霊・記念碑を訪ねました。
 3日、宿から近い、地下鉄のシティーホール駅前の戦争記念公園に建立した(1967年)「血債の塔」を見学しました。「血債」とは、中国語で「人民を殺害した罪、血の負債」という意味です。 
 塔は、白い4本の塔を寄せ合ったデザインで、高さが68mあります。その4つは、犠牲なった中国人、マレー人、インド人、ユーラシア人を現しています。
 日本軍は、1941年12月8日、真珠湾攻撃の数時間前からマレー半島への上陸作戦を行い、翌1942年2月15日にシンガポールを占領しました。
 そして、住民を指定場所へ集合させ、反日的と思われる人を海岸などへ連れて行き、虐殺しました。
 その数、4万人も、5万人とも言われます。塔の基部には、その人たちの亡骸が埋葬されています。
 碑名には「日本佔領時期死難人民記念碑」と書いてありました。塔の底辺中央部の碑文には、英語、中国語、マレー語、タミル語で、悲劇は「1942年2月15日至1945年8月18日」と明示したありました。
 4日、マラソン大会参加が昼過ぎに終わったので、宿から2㎞圏内にあるチャイナタウンの「大検証(粛清)検問場跡」の記念碑を訪ねました。土地勘がなかったので、道に迷い、一旦宿に戻って調べ直し、行く先々で何人かに場所を聞きました。世代が変わっており、資料を見て貰っても、存在をしらない人が多かったです。最終的には、年配の人に案内してもらう幸運に恵まれ、分かった時は、たいへん嬉しくなりました。
 碑文には、『ここは憲兵隊がいわゆる「華僑抗日分子」の選別を行った検問所の一つである。18歳から50歳までのすべての華人男性は、出頭を命じられた。不運な人々はシンガポールの辺鄙な場所に連行され処刑された。犠牲者は数万人と推定される』(要旨)と、日本語を含む4ヶ国語で書いてありました。検問所や虐殺場所は、50ヶ所位あったそうです。そのうちで、記念碑などが建っている20ヶ所が、シンガポールの地図に番号で示され、対象番号の名称一覧表がありました。
 その後、詳しく知りたいと思い、国立博物館を訪ねたましたたが、そこでは分からず、市役所にあるだろうと言われました。マラソンの後なので、そこまで行く力が尽き、先送りとなりました。
 5日、シンガポールの北隣、マレーシア最南端のジョホール州の州都ジョホールバールの日帰り観光(混載ツアー)に行きました。そこでは、日本軍が駐屯した旧王宮跡や、日本軍が使った見張り塔(現在はジョホールバール政庁舎)を見ました。内部の見学は、出来ませんでした。
 シンガポールも、マレーシアも、同じく日本軍による多大な加害を受けました。昨日見たチャイナタウンの検問場跡の記念碑にも、マレーシアの地図が描かれ、南シナ海方面からの日本軍侵入ルート、激戦地の場所や地名、年月日を明示してありました。
 ジョホールバールの観光後、国境のジョホール海峡に架かる橋を渡ると、橋の左側に水道管が3本通っていました。直径800㎜位ありそうです。
 私がジョホールバール観光に、急遽、現地で参加したのは、この水道管を見たかったからです。
 その旨、ガイドさんに話しておいたら、帰路がよく見えるとのことで、撮影ポイントを「ここ、ここ」と教えてくれました。帰路の車道が、高架から橋へ進入する構造になっていたからです。
 シンガポールは、東京23区位の国土面積で、大きな山や川がなく、必要水の半分以上をマレーシアから輸入しています。水は、命の源です。イギリスが香港を中国へ返すとき、イギリスの躊躇を、一挙に解決したのが水問題でした。中国が、大陸から香港へ送っている水を「止める」と言ったからです。
 シンガポールの輸入契約は、2060年で切れるそうです。マレーシアは、恒常的に値上げを要求しています。シンガポールは、将来、自己水でまかなたい計画で、官民上げて取り組んでいました。一滴も無駄にしない作戦で、雨水を逃さない溜め池の強化、湾の一部を堰き止めて淡水湖化、海水の淡水化、下水道を浄化して水道水にするなどの施策です。そして、そのノウハウを輸出する壮大な意気込みです。水道事業に関わったものとして、興味津々でした。
 それにしても、下水道再利用の水道水を、日本人が飲むには、相当抵抗があると思います。
 いずれにしても、国と国との対等な交流・外交を貫くには、自然条件もあり難しいですね。

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