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遠くて・近い 千島列島 (3)
根室市 歴史自然資料館

オホーツク文化の遺跡から出土した(左から)石鏃、銛先、釣針=2023/04/23、根室市歴史と自然の資料館
花咲港周辺に立てられたロシア語の看板=2023/4/23、根室市・花咲港
ウニ寿司を食べる
=2023/4/23、根室市
ニシンの刺身(2匹分)
=2023/4/23、根室市
 4月23日(日)
 今日も海が荒れ、遊覧船は欠航です。
 その代わり、花咲港の「根室市歴史と自然の資料館」へ、路線バスで行きました。目的は、根室市の米軍空襲の実態を知ることでした。
 9時30分過ぎ、館内の展示室に入ると、根室半島の考古資料の展示があり、興味がわきました。8,000年前ころの居住跡が発掘され、煮炊きに使う土器や、狩猟に用いた石鏃(せきぞく=石製の矢じり)などがありました。
 興味深かったのは、6世紀から9世紀にかけて、サハリン南部から道北、北海道のオホーツク海岸線、千島列島に発達したアイヌ人主体のオホーツク文化です。当時、根室半島遺跡から発見されたクジラなどの海獣骨で作られた、骨鏃、銛先、釣針など、その技術に感動しました(写真上段)。海獣狩猟や漁労がおもな生業で、アイヌ人の楽園でした。
 その後、アイヌの人達は、交易が広がるにつれ、北からはロシアが、南からは日本が、海獣の毛皮や海産物などの買い付けや、利権を得るため押し寄せ、従来の生業が圧迫され、従属を強いられました。自らの生活を守るため、クナシリ・メシナの戦い(1789年)や、それに遡る北海道内でのシャクシャインの戦い(1669年)がありましたが、押し切られました。そして、アイヌの人たちの楽園(固有の領土)は失われました。

 根室市の米軍空襲の被害については、市史によれば、7月14日、15日の朝方から昼前にかけ、空母からの発進で500ポンド型爆弾、5インチロケット弾が使われ、死者約200人、被災者約11,000人、焼失家屋約2,300戸の記録があり、市街地の8割が焼け野原になったそうです。
 帰路、花咲港の市場周辺を散策すると、ロシア語の文字の歓迎の看板や店名が目立ちました。ロシアの漁船も入港し、水揚げや買物をするそうです。「爆買」もあると聞きました。日常雑貨品など、ロシアの本土から輸送費をかけて買うより、安いそうです。
 そう言う点でも、民間の相互の交流は実利と友好的な雰囲気を育むと思います。しかし、ある土産店の方に聞きますと、「商売は商売。領土問題は別だ」と言われました。
 昼食は、駅近くでウニ寿司を食べました。ウニの味はしましたが、むかし礼文島で食べたウニ丼にはかなわないと分かり、少々で店を出ました。
 その後、昨日の納沙布の食堂で薦められた駅前の海鮮市場で、ニシンとミズダコを刺身に切ってもらいました。それを宿で、「はぼまい昆布しょうゆ」で食べました。地酒の「北の勝」と相性良く、たいへん美味かったです。全て食べきれず、夕食でも味わいました。ニシンの刺身は、初めてです。

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