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チェルノブィリ原発事故30年 |
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廃炉の目処たたず | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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爆発した4号機をコンクリートで固めた石棺が崩れた為、4号機をすっぽり覆う特殊金属製のシェルター(ドーム)を建設中でした。大きさは、高さ108m、長さ150m、幅257m、重さ3万6000tです。耐用年数は、100年です。シェルターが完成すると、レール式の台車で移動させ、4号機を覆い密封します。来年、密封作業に入る予定です。そして、原発を解体・廃炉に向かう方法をさぐります。ウクライナ政府は、国際支援を得ながら進めていますが、100年後に廃炉できるか、どうかも、解らないのが現状です。 チェリノブイリ原発の30km圏内は、人が住めません。 そこに入るには許可が必要です。私たちツアーの一行は、ウクライナの首都キエフからチャーターバスで向かいました。30km地点のゲートで、入所許可申請書と放射線量の高い植物や建物に触らない誓約書を提出し、パスポートのチェックをうけ、入ることが出来ました。帰路は、30kmゲートで被曝線量のチェックがあり、全員無事に退所しました。 原発付近の見学中は、日本から放射線測定器を持参した人が計りました。4号機や建設中のシェルターには、直近のフェンスまで近づけます。その付近は、数μ㏜/h(マイクロシーベルト/時)で、さほど高くありません。除染しているからでしょう。高いのは、数km離れた住宅地などの草むらや苔などです。最高は140μ㏜/hありました。原発近隣の建物や住居地は廃虚となり、舗装の継ぎ目や亀裂から草木が生えていました。既に、集合住居地の地表には、新たに生えた木々が10m以上に成長していました。4号機から3km離れた、観覧車のサビが、廃虚のシンボルのように見えました。あと20年や30年すると、ほとんどの建造物は朽ち果て、住宅地も遊園地も森になると言われます。 4月26日、4号機前で政府主催の30周年追悼式典がありました。ポロシェンコ大統領は「最終解決にはほど遠い」と話し、「平和利用の原子炉が時として核兵器同様の危険性を持つことを見せつけた」と強調しました。そのうえで、「資源に乏しいウクライナは即時に原発を拒否できない」とも述べました。 現在ウクライナでは、他の4か所の原発が稼働しています。その一つが、ザポリージャ原発です。場所は、チェリノブイリ原発が取水していたプリピャチ川の下流(本流)ドニエプル川の河口近くです。チェリノブイリ原発事故で放射能汚染されたドニエプル川が、再度、原発事故で汚染される危険性があります。 ウクライナへ入国する前に、ベラルーシを訪問しました(4月24~26日)。チェリノブイリ原発は、ベラルーシ東南国境の10km先に位置します。その国境地帯は、30km圏内です。 そしてベラルーシは、チェリノブイリ原発の風下で、国土の4分の1が放射能被害地です。 子どもたちの被害状況を知るため、ベラルーシの首都ミンスクにある子ども保養センター「希望」(ナデジダ)を訪ねました。ナデジダは、高濃度汚染地に住み放射線障害を受けた子どもたちのリハビリと教育(学校)を兼ねた施設です。1994年に完成し、その費用や運営は、国と他国の民間団体(NGO)の援助で行っています。現在、360人を受け入れ、24日間の滞在(国の規定)で交替していました。スタッフは、医師、看護師、教育者、養護教師、用務員など250~270人体制です。治療、教育、心のケアー、そして食事などで放射線物質の体外排出をするなど、総合的に行います。帰宅後は、ケアーのアドバイスや治療の処方箋にもづき、居住地域の諸機関と連携します。 入所して来る子どもたちの疾患や障害は、甲状腺、呼吸、血液、疲れやすい、鼻血、頭痛、高血圧、低血圧、骨折しやすい、消化器、そして骨格や筋肉の発達などにあらわれ、年々拡大するデータが出ているそうです。 福島原発の放射能被害は、今後10年、20年~ と経つにつれ、様々な発症や障害がでると推測します。 原発事故30年周年で、ナデジダの子どもたちの描いた絵が、校舎のホールに展示してありました。その一つ、「危険! 立入禁止!!!」を見つめる小鳥の絵(写真上から5段)を観て、悲しくなりました。朝鮮半島の38度線を自由に飛び交う小鳥たちも、ここはでは「立入禁止」なのです。 ツアーの人が子どもたちに、日本の割り箸の使い方や、新聞紙でカブトの折り方を教えると、先をきそってチャレンジしました。出来ると、その笑顔がとても素敵でした。私たちを迎えられた女性の副所長は、「初めて日本人に会う子どもがほとんどで、よい機会になりました」と喜んでおられました。 なお、ベラルーシは、ロシアの援助で原発建設を進めています。理由は、ロシアの天然ガスを利用した発電を抑え、自給率を高める為だそうです。場所は、北西部のオストロベツ村です。直ぐ西側がリトアニアとの国境で、その先が首都ヴィルニゥスです。ベラルーシ原発1号機の完成は2018年、2号機が2020年と言われています。 日本でも、ウクライナでも、ベラルーシでも、原発をゼロにするには、放射能を人間がコントロールできない認識を深めることによる、国民と世論の運動が必要だと強く思いました。(今回の旅では、ウクライナでも、ベラルーシでも、原発ゼロを求めるグループの人たちと交流する機会がありませんでした) かって私は、1985年8月に、家族5人でウクライナのキエフを訪問したことがありました。そのとき新潟空港へ帰国すると、前日(15日)に日航機が御巣鷹山に墜落したの知りました。そして翌年、キエフから120km先のチェリノブイリ原発事故でした。続く事故で、肝を冷やしたことを覚えています。31年ぶりのキエフは、車社会に変身し、路上駐車と渋滞に驚きました。そして、ウクライナとロシアの紛争がおさまらず、モスクワからの空路が閉鎖中なので、キエフへ着いたのは遠回りのウィーン経由(途中ミンスクに寄る)でした。 一昨年のロシアとウクライナのクリミア半島をめぐる戦争では、プーチン大統領が「核兵器の使用を準備した」と、明かす(昨年3月15日国営テレビインタビュー)ほどの緊張でしたが、キエフやチェリノブイリは平穏でした。 |
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