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シベリア出兵100年 |
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② ハバロフスク | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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夜行列車の席は2等で、4人1部屋の2段ベッド方式でした。今回のツアーは5人で、男性が4人なので同じ部屋でした。室内は暖かく、折りたたみのテーブルもありました。ウオッカのボトルを据え、12時まで談笑しました。 シベリア鉄道の終点はモスクワで、9,288㎞あり、7日昼夜かかる世界最長の鉄道です。 私は、ウラジオストックからモスクワまで通して乗り、モスクワから船旅でボルガをカスピ海に下り、黒海へ移動し、ウクライナのオデッサ(横浜市と友好都市)から、船旅でフランスのマルセーユに行く夢を見ています。 下車後、ホテルで休息をして昼前、アムール川へ行きました。大河の氷結を見るのは、初めてです。1985年の夏に見た印象と全く違います。雪原の下に川と知らずに見たら、一面銀世界の平原だと思います。 氷の厚さは1mあるそうです。安全を確認して、車の通れる場所もあるといいます。 散歩や、穴を掘って魚釣りをしている人がいました。気温は、マイナス20度前後のようです。 早速、撮影用のやらせで走ってみました。 アムール川は、ここからさらに北東へ流れ、樺太北部の間宮海峡が河口です。川の長さは、上部の支流を含めると約4,300㎞(世界8位) です。源流は、モンゴルです。 支流を入れた流域面積は、約185万㎢(世界10位)で、日本全土の5倍の広さです。極東の母なる川でしょう。 昼夜の気温も、マイナス10度以下が続くと、積雪が発砲スチール状になって軽く、板のようです。除雪して積み上げた雪辺を、持ってみて分かりました(写真2段目)。 私は山形県の米沢地方で育ちました。マイナス10度の体験もありましたが、除雪の雪を積み重ねると、上下が接着するものでした。湿度が高いのかも知れません。こちらでは接着せず、極寒の雪質を知りました。 今日は、日曜日の晴れで、斜面の空き地では親子がそり遊びをしていました。 親子4、5人が乗れるエアーマットのようなそりがあり、幼子もキャ、キャ、とはしゃいでいました。 滑っては上り、滑っては上り、本当に楽しそうです。 市内見学は、民族博物館や極東軍管区歴史博物館などへ行きました。 民族博物館には、民芸品コーナーに数か国の人形類がありました。その中に米沢市に伝わる木彫り工芸品の一刀彫り(笹野一刀彫)の鶏がありました。一刀彫りは、1本の木を一刀で彫り、鳥の羽や尾羽をカール状に仕上げる技法です。見て嬉しくなり、係員にその旨を話しますと、手作りの人形を頂きました。 そほか 注目したのは、貴金属資源の一室があり、宝石をたくさん並べていました。シベリアは、相当の産地のようです。知識がないので、何が貴重品なのか分からないのが残念でした。 極東軍管区歴史博物館では、日本兵が残した遺品の数々を展示するコーナーが目につきました(写真4段目)。 持ち主(あるは遺族)は、返して欲しいだろうと思いました。 博物館の屋外には、軍用車、高射砲、戦車、ロケット弾、ミサイルなどが、数おおく展示してあり、不気味でした。 その博物間で、貴重な冊子を頂きました。同行の一人の方の尽力によるものです。 注目すべき内容は、1941年に結んだ日ソ中立条約は、日本が先に破ったという主張です。「ソ日中立条約に違反して、日本軍部は、極東における我が方の船舶活動をさまざまに妨害した。中立海域において、ソ連船舶を妨害し、臨検を行い、ソ連船18隻が沈められた」いうものです(詳細は新聞「日本とユーラシア」2017年11月15日号参照)。 |
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