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鹿児島県・南九州市市
知覧特攻基地跡・訪問

知覧特攻基地跡通りの桜並木と灯籠
=2018/1/14
 
特攻隊員の遺書(知覧特攻平和会館案内書より)
=2018/1/15
 2018年1月15日、鹿児島南九州市の知覧特攻基地跡を訪ねました。
 昨日の第37回いぶすき菜の花マラソン大会参加と兼ねての訪問です。 
 知覧(旧知覧町)は、薩摩半島半南部の中央部に位置し、南九州市役所の所在地です。
 この地域は、古くから内陸部の交通の要所として栄えてきました。小京都とも呼ばれ、現在も武家屋敷群が残っています。
 そして、砂鉄を原料とする製鉄所跡も4か所発見されています。平成7年から12年に発見された知覧町北部の厚地松山製鉄所跡(江戸時代)は、鉄の素材をつくる熔鉱炉と、鋼にする鍛冶炉があり、一貫作業をしていました。炉に酸素を送る鞴(ふいご;送風機)の動力には、水車を使っていたことも分かりました。進んだ製鉄群の都市でもあったようで、興味津々です。
 知覧に、旧陸軍飛行学校の訓練飛行場建設がはじまったのは、1940年11月(地神際)です。翌年の8月には、平坦な飛行場が出来ました。
 その後、1942年のミッドウェイ海戦の大敗や、翌年のガダルカナル島撤退などの戦局悪化にともない、飛行場機能が強化され、1945年3月には特攻機の主要な出撃基地に変わりました。
 特攻機とは、爆弾を搭載した飛行機に隊員(パイロット)が乗ったまま、艦船に体当たりする自爆攻撃です。隊員は、必ず死にます。ここから飛びたち、亡くなった隊員は439名です。平均年齢は21.6歳、最少は17歳でした。若いのは、兵員が不足して徴兵年齢を引き下げたからです。飛行場建設も、学徒動員でした。
 知覧特攻平和会館に展示の遺書には、「母様 藤夫は笑って征きます 元気で さようなら」(写真下)とありました。本当に「笑って征った」のでしょうか。人間が人間を簡単にあしらう戦争の恐ろしさ、軍国教育の恐ろしさが良く分かりました。
 また、南九州市南部の東シナ海聖ヶ浦海岸(旧頴娃町)には、特攻兵器の震洋艇の基地もありました。震洋艇とは、ベニヤで造った船で、特攻機と同じく爆弾を搭載し、艦船に操舵兵士ごと体当たりする「人間魚雷艇」です。ここでは、幸いにも出撃直前に終戦を迎えました。
 参照 www.takeda-a.net/09-8-02  www.takeda-a.net/16-7-02

 
 
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