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竹田昭彦・日誌(#01)・5月13日(土) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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泉区・戸塚区・栄区コース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3年連続の雨 負けずにアピール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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但し、例年行われた戸塚区地域の行進は、今年もコロナ禍の影響で、ありませんでした。 天気は、3年連続の雨降りで、降ったり止んだりでした。
開会に先だち、神奈川合唱団員4名による、うたごえ合唱の指揮があり、私の参加では初めてのことです。 集会の挨拶では、被曝2世の門川恵美子さん(76歳)が、原爆の放射能被害は遺伝子を傷つけ、2世、3世~と、癌発症などの影響が残ると、原爆の恐ろしさを話され、核兵器の廃絶を訴えました。福島原発事故の放射能被害の増加も、時が経つとともに一層明らかになると思います。 参照 a-chernobyl16-04.htm 10時15分、行進が出発し、間もなくすると雨が強くなりました。対向する車窓の1台ごとに手を振りましたが、視界が悪く、お辞儀や手を振るドライバーが少なかったです。 強い雨が降ると、写真を撮るのもままならず、ひたすら最後尾を幟旗を持って歩きました。 このコースの終点は、戸塚区に入る手前の米海軍深谷通信基地跡バス停です。バス停前で、終了集会が開かれ、アピールコンテスト表彰が行われました。昨年より作品が少なかったです。3段目の写真は、表彰された新婦人泉支部の人たちです。私も入れてもらいました(後部中央)。基地跡は、昨年と変化がありませんでした。 行進は、70人の参加で約2㎞歩きました。
歩道での集会のため、手短な各挨拶で、行進へ移りました。 午後1時15分、行進が出発しました。 こちらも、行進後直後に雨が強くなりました。 前半の住宅団地内の行進では、家の窓を開けて手を振る家族の激励が、嬉しかったです。 終点のJR本郷台駅に近づくと、沿道に人が通り、激励がありました。 お父さんと一緒の子どもが、盛んに手を振りました。私は「ありがとう、戦争を無くしましょう」と、声をかけました。 コロナ禍で、ピースコールを止めていましたが、今年は行い良かったです。 行進終了後、ここでも、アピールコンテストの表彰がありました。私の近所の方が表彰され、喜んでおられました。 来年の行進は、従来通り泉区、戸塚区、栄区を通して歩く12㎞コースに戻すことを、実行委員会から話されました。コロナが終息して、全体的に従来になるよう願っています。 行進は、37人の参加で2.5㎞歩きました。 今日の泉区、栄区の行進では、先頭で持つ神奈川県原爆被災者の会の「核兵器廃絶」の横断幕がありませんでした。それは、今日、港北区、磯子区~金沢区、横須賀市でも行進が行われたことから、手配が間に合わなかったのでしょう。そして、コロナ禍の4年間、各地域が独自性を持った取り組みに発展した反映でもあります。 今後、日程が重ならない連係に戻せるか、分かりません。私は、従来通りのパターンにこだわらず、若い世代の大都市集中や少子化、地方の過疎化などを加味した、全国的な再構築が求められていると思っています。 |
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