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竹田昭彦・日誌(#29)・7月21日(日) | ||||||||||||||||||||||||
福岡県 古賀市 | ||||||||||||||||||||||||
被爆クスノキ 全校に植樹 | ||||||||||||||||||||||||
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天気は、午前が曇りで、午後は断続的に大雨になりました。 10時、宗像市の赤間バスセンターで出発式が開かれ、行進へ移りました。 昨年、このコースの半ばでリタイアされた方が、リベンジで参加され、思いを聞きながら歩きました。 私より三つ先輩で、何十年も参加されており、私もがんばろうと思いました。 50分ほど歩いた休憩場所は、宗像市平和祈念広場でした。そこには、日清戦争以来の平洋戦争まで、宗像市で戦死した1461名を刻んだ「宗像平和の礎」がありました。碑文は、加害について触れていませんでしたが、太平洋戦争だけでもアジア太平洋等の人々2000万人が死にました。その加害の反省がなければ、日本国憲法第9条の精神が真に生きないと思います。 12時30分、選挙の投票日で宗像市役所が使えず、市役所前の道路脇の空き地で歓迎式が開かれ、市長メッセージが行進実行委員会役員から披露され、行進へ移りました。 福津市へ入り、休憩した東福間駅前の東福間第1公園では、“麦茶(塩1%)” の貼り紙をしたポットがありました。早速、味わいました。塩分補給も必要ですから、そう考えた方がおられたことを、嬉しく思いました。 マラソン大会の給水所では、よくあることですが平和行進では初めてです。 3時10分、福津市の「ふくとぴあ」で歓迎式が開かれ、冒頭に「戦争を知らない子供たち」と「いざゆけ若鷹軍団」(ソフトバンク応援歌)を合唱しました。私は、ソフトバンクの応援歌を初めて歌いました。 なぜ歌うか解説があり、戦争になればスポーツも規制され、応援歌も歌えなくなるという訳です。 式では、市長、議長、教育長から歓迎と激励の挨拶がありました。三役に挨拶を頂くことは、北海道以外にはほとんどなく、ありがたく思いました。 私の挨拶では、応援歌を受けて「平和でこそ花が咲く」話しをしました。 参照 http://takeda-a.net/19-5-17 午後5時25分、古賀市役所で歓迎式が開かれ、市長から歓迎と激励の挨拶を頂きました。市長は、長崎で被爆して再生したクスノキの子「被爆クスノキ」を、市役所をはじめに、全市の小中学校に植樹したと話しました。生徒たちに、代々原爆の実相が伝わっていくことでしょう。そのような植樹等は、大きな予算がなくても可能で、地に着いた平和行政だと思います。早速、市役所の被爆クスノキの前で写真を撮りました。 参照 http://takeda-a.net/16-7-15 ここで、行進は終了です。 リベンジで参加された方は、踏破され、たいへん喜んでいました。「来年は、行くなと言わせない」と話します。私は、昨年の歩きも知っていたので、先輩の精神力と肉体力の強さに敬服です。一緒にガッツポーズで、パチリとおさまりました。 今日の行進距離は、30人前後で3市を18.1㎞歩きました。宮崎県のえびの市を出発してから、最も長い距離です。 |
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