竹田昭彦・日誌(#11)・5月17日(金)    
戦時の花作禁止令に思う
平和でこそ花は咲く

清川村長と議長からのペナントを結ぶ総務課長(右)=2019/05/17、清川村役場
伊勢原市平和のつどいの写真集「平和でこそ花は咲く」=2019/05/17、伊勢原市・市民文化会館
伊勢原市を行進=2019/05/17、伊勢原市
 今日は、午前Dコースの清川村、午後Bコースに合流して伊勢原市行進です。
 天気は、晴れでした。
 10時、清川村役場で、村長メッセージを総務課長から披露され、村長と議長からのペナントを、被爆者横断幕に結んで頂きました。
 神奈川県原爆被災者の会の東勝廣事務局長からは、被爆者の生きているうちに核兵器の廃絶をと、訴えられました。
 行進は、先頭で東さんが核兵器廃絶の横断幕を持ち、村内を行進しました。みどり豊かな森に囲まれたコースで、ウグイスが盛んに鳴いていました。
 清川村「ふれあいセンター」別所の湯の脇には、被爆アオギリ2世と被爆クスノキ2世が植樹(2017年)してありました。
 村の中心道路(県道64号線)から横に10分ほど入った場所ですが、行進後、歩いて見に行きました。
 鹿に食べられないよう、柵をしてありました。
 「ふれあいセンター」は、日帰りの入浴と休息施設でカラオケや食事もあります。利用料100円(村外者600円)で、高齢者に人気だそうです。
 9人で20分ほど行進し、八幡神社前で終わりました。行進には、パトカーと警察官3人がつかれ、行進の後方車を、対向車線利用して隊列を追い越させるなど、テキパキと誘導していました。
 その後、車で伊勢原市へ移動しました。
 午後1時30分、伊勢原市の市民文化会館で「平和のつどい・歌と詩と絵の発表」が開かれました。
 行進の前に、文化行事で平和を訴える趣旨です。
 絵、詩、川柳、写真などが展示され、朗読や説明がありました。
 花の写真には、「平和でこそ花は咲く」と説明文があり、印象的でした。
 戦時中は、1938年の国家総動員法により、花作りが規制されました。
 仏花などの生産が盛んだった千葉県や長野県などでは、農業生産統制令が発令され、徹底的に花作りが禁止されました。栽培している花は、全部抜き取られ、花の苗や種は焼却されました。
 今では、想像もつかないことです。
 花作は「非国民」というわけです。花の観賞は、なおさら罪でしょう。
 午後2時45分、行進が市民文化会館前から出発し、市街地を歩きました。
 私は、昨日、声を出し過ぎて喉を痛めました。思うように声が出せず、残念でした。
 午後3時35分、行進は小田急線の伊勢原駅前で、今日の終了しました。
 今日の行進距離は、午前の清川村を9人1.4㎞、午後の伊勢原市を50人前後で2.1㎞、合計3.5㎞歩きました。

 
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