竹田昭彦・日誌(#02)・6月24日(月)    
被爆者国際署名
都城市から 797筆

都城市役所で被爆者国際署名797筆を中山誠総務部長から託される=2019/06/24、都城市
都城市を行進=2019/06/24、都城市・中央通り
三股町役場の「非核平和のまち」塔
=2019/06/24
、三股町
「国際青年リレー行進」のタスキに署名する
=2019/06/24
、三股町役場
 今日は、都城市、三股町の役所訪問と行進です。
 天気は、晴れで、昨日より湿度が低かったです。
 7時15分、宮崎市の宿を宣伝カーで出て、8時間40分、都城市役所へ着きました。
 市役所を訪問し、総務部長とお会いしました。
 事前に要請してある件について、対応などお聞きしました。
 宮崎の行進では、出発式の30分ほど前に役所を訪問し、首長と議長、または代理や事務方とお会いします。そして、出発式の次第なども、話し合っています。
 9時30分。市庁舎前で出発式が開かれ、市長メッセージを総務部長から披露され、被爆者国際署名簿が行進団長に渡されました。
 797筆です、庁舎の職員数を超えているそうです。
 市議会では、核兵器禁止条約への調印(署名)・批准・参加を日本政府に求める意見書を採択しており、市の平和行政の旺盛な取り組みを知りました。
 私の挨拶では、父戦死の経緯と、その後の生活苦から、時々、母が言い出す「一家心中」の話しをしますと、「薪を割るナタで首を切られる」場面を思い出し、話を続けられず、たいへん失礼をしました。
 加齢とともに涙腺が緩み、辛いことを平常心で話せなくなりました。
 10時15分、行進が出発し、市役所の前から延びる繁華街の中央通りを歩きました。広めの歩道(両側)には、アケードが架かり、600mくらい続きます。最盛期の賑やかさを、想像しました。
 今は、閉鎖店舗も多くなり、さら地も目につきました。
 13年前(2006年)の行進のときは、今ほどになっておらず、歩行者もありました。アケードの途中で止まり、市民へ話しかけたことを思い出しました。
 参照 http://takeda-a.net/06-6-30
 行進は、アケードが切れた所で終わり、宣伝カーに乗って三股町役場へ向かいました。
 11時、三股役場訪問では、町長にお会いしました。
 懇談の中で、私の平和行進参加の思いを話しますと、私が育った山形県と三股町の関わりを知りました。
 山形県の初代知事(県令明治9年:三島通庸)は、三股町出身でした。その知事の息子が、NHK大河ドラマ「韋駄天」に出てくる三島弥彦さんでした。三股町は、今も山形県と交流を深めているそうです。
 三股町は歴史を重んじ、町制発足(1948年)以来合併せず、自立を育んできました。
 なぜ、平成の大合併に入らなかったか、私の疑問の回答がみえてきました。
 町議会では、核兵器禁止条約に日本政府は賛成・批准を求める意見書を採択しております。
 役場の入口には、「非核平和のまち 三股町」塔が大きくたっていました。
 町の人口は、1070年代から増加の一途で、「子育てのしやすい町」と評判でした。
 町長訪問後、出発式が開かれ、町長は核兵器禁止採択にふれられ、これまでの運動を激励されました。
 11時50分、行進が出発し、市街地を周回して役場の「非核平和のまち」塔で終了です。
 帰路は、幾つかの峠を越え、1時間以上かかりました。
 今日の行進距離は、2か所を30人前後で2.1㎞歩きました。

 
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