|
||||||||||||||||||||
竹田昭彦・日誌(#13)・5月19日(日) | ||||||||||||||||||||
神奈川から静岡へ引継 | ||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
湯河原町の行進です。 天気は、9時過ぎ小雨が降り、雨天を覚悟したが、出発式がはじまると陽がさし、晴れになりました。 10時、湯河原町の湯河原観光会館前の広場で、出発集会が開かれました。 神奈川県の平和行進を実施する「かながわ平和行進懇談会」の構成3団体である原爆被災者の会、県民ピースリレー実行委員会、国民平和大行進実行委員会の各代表から、まとめの挨拶がありました。 雨天は一日だけで、昨年より参加者が増えたことなど報告されました。 県内通し行進者6人も一言発言し、私は17日に清川村の行進で感じた、被爆アオギリや被爆クスノキの植樹など、県下全体の運動の広がりを話しました。 参照 http://takeda-a.net/19-5-17 行進へ移ると、170人の隊列で壮観でした。 被爆者国際署名の訴えチラシを、配布しながら歩くと、大方の人が受け取りました。 そして、ご苦労様といわれました。 県内通し行進者の主な役割は、そのチラシ配布です。今日までの感想を書いてみます。 バスの停留所で待っている人は、行進通過の渋滞から、バスの遅れが気になり、受け取らない人が多いです。「主旨は分かるが、渋滞になるので止めて」、ともいわれました。 車に乗っている人も、対話は出来ませんが、渋滞が気になっていると思います。 沿道で行進の様子を見ている人や、家や店舗から見に出てくる人は、ほとんど受け取ります。 その場で対話になり、行進主旨が深まりました。 平和行進は、車社会になる前か歩いて61年目です。募金を手に待っている人、訴えに耳を傾ける人が少なくありません。国民の原水爆反対と、行進への共感で支えられてきたと思います。 交通量が増え、コース短縮止むなしのコースもありますが、工夫をこらして発展させましょう。 11時15分、湯河原町の広崎公園へ着き、町長から激励の挨拶とメッセージを頂き、被爆者の手記の朗読がありました。朗読は、被爆者の者の語り部さんで、原爆の恐ろしさが、静まった公園に響きました。 湯河原町実行委員会の挨拶では、行進が町の「風物詩」になっていると表現されました。 歩道で、何回も深くお辞儀をしている婦人おられました。胸が詰まり、お礼の言葉が言えませんでした。 今年の県内通し行進は、チラシを配布しながら市民の感情を具体的に知る、よい機会でした。 13時、県境の湯河原町の千歳橋川端公園で、神奈川県から静岡県への引き継ぎ式が開かれました。 リレー横断幕を手に、東京→広島コース通し行進者の小林和江さん、おかやま生協の須磨淵三央さん、国際青年リレー行進のチャリーさんが無事に静岡県へ渡りました。 なお、静岡の引き継ぎ式参加者は、100人と発表されました。 今日の行進距離は、170人で5.4㎞歩きました。私の歩いた総計は、7日からの13日間で113.0㎞です。 青年国際青年リレー募金は、通し行進者小林和江さんの積極的なお願いにより、7日からの13日間で20万円余り頂きました。ありがとうございます。 |
||||||||||||||||||||
copyright(c) takeda akihiko all rights reserved. | ||||||||||||||||||||