竹田昭彦・日誌(#13)・5月19日(日)    
神奈川から静岡へ引継

神奈川県行進最終日の出発式
=2019/05/19
、湯河原町・湯河原観光会館前
被爆者語り部の朗読
=2019/05/19
、湯河原町・広崎公園
リレー横断と通し行進者が神奈川から静岡へ渡る(左から)小林和江さん、チャリーさん、須磨淵三央さん=2019/05/19、湯河原町・千歳橋川端公園
 今日は、神奈川県から静岡県へ引き継ぎます。
 湯河原町の行進です。
 天気は、9時過ぎ小雨が降り、雨天を覚悟したが、出発式がはじまると陽がさし、晴れになりました。
 10時、湯河原町の湯河原観光会館前の広場で、出発集会が開かれました。
 神奈川県の平和行進を実施する「かながわ平和行進懇談会」の構成3団体である原爆被災者の会、県民ピースリレー実行委員会、国民平和大行進実行委員会の各代表から、まとめの挨拶がありました。
 雨天は一日だけで、昨年より参加者が増えたことなど報告されました。
 県内通し行進者6人も一言発言し、私は17日に清川村の行進で感じた、被爆アオギリや被爆クスノキの植樹など、県下全体の運動の広がりを話しました。
 参照 http://takeda-a.net/19-5-17
 行進へ移ると、170人の隊列で壮観でした。
 被爆者国際署名の訴えチラシを、配布しながら歩くと、大方の人が受け取りました。
 そして、ご苦労様といわれました。
 県内通し行進者の主な役割は、そのチラシ配布です。今日までの感想を書いてみます。
 バスの停留所で待っている人は、行進通過の渋滞から、バスの遅れが気になり、受け取らない人が多いです。「主旨は分かるが、渋滞になるので止めて」、ともいわれました。
 車に乗っている人も、対話は出来ませんが、渋滞が気になっていると思います。
 沿道で行進の様子を見ている人や、家や店舗から見に出てくる人は、ほとんど受け取ります。
 その場で対話になり、行進主旨が深まりました。
 平和行進は、車社会になる前か歩いて61年目です。募金を手に待っている人、訴えに耳を傾ける人が少なくありません。国民の原水爆反対と、行進への共感で支えられてきたと思います。
 交通量が増え、コース短縮止むなしのコースもありますが、工夫をこらして発展させましょう。
 11時15分、湯河原町の広崎公園へ着き、町長から激励の挨拶とメッセージを頂き、被爆者の手記の朗読がありました。朗読は、被爆者の者の語り部さんで、原爆の恐ろしさが、静まった公園に響きました。
 湯河原町実行委員会の挨拶では、行進が町の「風物詩」になっていると表現されました。
 歩道で、何回も深くお辞儀をしている婦人おられました。胸が詰まり、お礼の言葉が言えませんでした。
 今年の県内通し行進は、チラシを配布しながら市民の感情を具体的に知る、よい機会でした。
 13時、県境の湯河原町の千歳橋川端公園で、神奈川県から静岡県への引き継ぎ式が開かれました。
 リレー横断幕を手に、東京→広島コース通し行進者の小林和江さん、おかやま生協の須磨淵三央さん、国際青年リレー行進のチャリーさんが無事に静岡県へ渡りました。
 なお、静岡の引き継ぎ式参加者は、100人と発表されました。
 今日の行進距離は、170人で5.4㎞歩きました。私の歩いた総計は、7日からの13日間で113.0㎞です。
 青年国際青年リレー募金は、通し行進者小林和江さんの積極的なお願いにより、7日からの13日間で20万円余り頂きました。ありがとうございます。
 
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