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竹田昭彦・日誌(#09)・5月15日(水) | ||||||||||||||||||||
被爆者の体験記 | ||||||||||||||||||||
サニョさんが英文訳を頂く | ||||||||||||||||||||
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天気は、朝方に大雨が降りましたが、行進中は午前が曇りで、午後が晴れました。 9時、葉山町役場で出発集会が開かれ、被爆者の 赤沢さん、町長、議長からの挨拶がありました。 赤沢達海さんは93歳です。高齢にもかかわらずお元気で、被爆体験談と核兵器廃絶を訴えられました。 そして、英文にした体験記を、フィリピンから国際青年リレー行進者で参加しているAG・サニョさんに渡されました。英文は、サニョさんの来日を知り、赤沢さんのお孫さんが訳したそうです。 サニョさんは、被爆者の声を世界に発信したいと希望していたので、たいへん喜んでいました。 行進へ移ると、町長、議長も歩かれました。私が訪問した、一昨年の行進でも歩かれました。 葉山町は、中学生を対象に葉山町非核平和標語コンクール実施しています。町長の挨拶で、金賞(前年度)が紹介されました(応募800余句)。 ありがとう素直に伝える大切さ 参照 http://takeda-a.net/17-5-15 葉山町行進の交通整理の警察官は、テキパキと行う印象があったので、その旨を警察官に聞きますと、「無理に突っ込む車がない」とのことでした。 逗子市へ向かう(往路)1車線のトンネルでは、行進をさせながら、後方の車が行進を追い越す指揮を取りました。ビックリしたが、トンネルは交差点などないので、安全な場所だと理解しました。全国でも、ここだけの技でしょう。 10時50分、赤沢さんをはじめとする被爆者5人を先頭に、逗子市役所へ無事着きました。 歓迎式が開かれ、市長から激励の挨拶を頂きました。一昨日開かれた神奈川県市長会には、広島市長が来られ、核兵器廃絶の連携運動を訴えられたそうです。市長は、啓もう活動を強めたいと話されました。 11時、逗子市役所から行進が出発し、池子の米軍住宅地前で終了です。その後、鎌倉市へ電車移動しました。 午後1時、JR鎌倉駅先の鶴岡八幡宮二の鳥居前で出発式が開かれ、行進へ移りました。 コースは、八幡宮の段葛(一段高い参道)の両側面の車道を一周し、駅周辺の観光商店街を通り、市役所へ行きました。 午後2時、市役所で歓迎式が開かれ、市長メッセージを担当課長から披露され、行進へ移りました。 午後3時50分、鎌倉駅前で今日の行進終了です。 鎌倉市の行進は、観光コースそのもので、修学旅行生や外国の観光客が多いです。引率の先生を含め、生徒たちから手が振られたのが、嬉しかったです。外国人は、行進者が「ハロー」と呼びかけて手を振りますと、ほとんどの人が手を振って、にっこりします。 行進終了後、大船駅へ電車移動し、大船観音で「原爆慰霊碑・原爆の火」見学・平和記念塔の参拝、被爆者との懇談会が開かれました。これには、私は歯科治療のため参加できませんでした。 今日の行進距離は、4区間を65~100人で8.9㎞歩きました。 |
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