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竹田昭彦・日誌(#09)・5月15日(月) | ||||||||||||||||||||
古都 鎌倉を行進 | ||||||||||||||||||||
沿道から手が振られ | ||||||||||||||||||||
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行進終了後、鎌倉市のJR東海道本線線大船駅前の大船観音寺で、「被爆者との懇談会」を開きます。 天気は、晴れたり曇ったりでした。 9時10分、葉山町役場で出発集会が開かれ、町長メッセージを副町長から披露され、議長から激励の挨拶を頂きました。 議長は、新任だと紹介され、公式の場で最初の挨拶ですと、ユーモアを交えて話されました。 96歳になった、被爆者の井口俊朗さんが紹介されました。高齢で、行進参加は無理とのことでしたが、元気なお声で、励ましを頂きました。 葉山町は、毎年、中学生から平和の標語を募集しています。 参照 14-5-15.html 今年は、146点の応募がありました。町長メッセージで紹介された、金賞を紹介します。 平和の木 肥料はみんなの その笑顔 庁舎の周囲に小高い山があり、ウグイスが盛んに鳴いていました。 行進へ移ると、副町長と議長が公道へ出るまで行進されました。 役場前の小学校を通ると、生徒たちが次つぎと手を振られ、行進者たちも手を振って喜びました。町の平和行政の一端を感じ、嬉しくなりました。 10時50分、逗子市役所で歓迎集会が開かれ、市長から激励の挨拶を頂きました。 市長は、昨年広島の記念式典へ参列されたそうです。逗子市は、毎年、ピースメッセンジャーとして、中学生20人を広島へ派遣しています。 逗子市役所では、私が20歳代のとき日ソ協会で一緒に活動していた加田龍彦さんに、27年ぶりで会いました。ビックリするやら、当時の人々のその後が分かるなど、懐かしさが込み上げました。 午後1時15分、JR鎌倉駅前から行進が出発し、鎌倉八幡宮の参道(車道)や商店街を行進しました。 鎌倉は、修学旅行生や、内外の観光客が多いです。その人たちから、多くの激励の手が振られ、写真も撮られました。他の街と、違う雰囲気です。 午後1時50分、鎌倉市役所で歓迎集会が開かれ、市長メッセージを担当幹部から披露されました。 行進の再開の間際、市役所に、画家の平山郁夫書の「平和都市宣言」碑があることを知り、急いで写真を撮りました(写真2段目)。平山さんは、鎌倉市の名誉市民です。 行進は、商店街を通って鎌倉駅前へ戻り、終了です。 午後3時45分、JR東海道本線の鎌倉市大船駅西口の山にある大船観音寺で、「被爆者との懇談会」が開かれました。 懇談会では、被爆者の女性4人が、神奈川県被爆者の会の歩みを、朗読で紹介されました。初期の訪問聞き取りでは、門前払いや、水をかけられたこともあったそうです。被爆者を名乗り出て、公に語ることは、どんなに辛いことであったか、想像を絶します。 今日の歩いた距離は、区間により65~110人で10.4㎞です。 |
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