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竹田昭彦・日誌(#14)・5月20日(土) | ||||||||||||||||||||
東富士 実弾射撃場見学 | ||||||||||||||||||||
監視活動に敬意 | ||||||||||||||||||||
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8時50分、函南町のユーコープ田方センターで出発集会が開かれ、静岡第2日目の行進がスタートしました。 出発にあたり、函南町長メッセージを、塚平育代町議が代読されました。 出発集会前のひとときには、ウィーリーさんが西田さんのギターを借りて弾く場面がありました。日本の生活にもなれ、余裕が出てきたと感じました。 私は、行進の最初から、最後尾を歩きますと、杖をついた年配の男性が、2、30m歩き止まりました。そこで帰られました。みんなと歩くには、困難の様でした。 行進が300mほど進むと、最後尾から遅れる年配の男性があり、みんなに付いて行けるだろうかと、気遣っていると、店の駐車場で止まりました。そこに当人の車が止めてあり、帰るといわれました。 両人と、多くを話す機会がありませんでしたが、これまで行進へ参加してきた方だと思います。歩行が弱くなっても、1歩でも、2歩でも、との思いが伝わり、胸が熱くなりました。 今年は、激変の年です。諸先輩の努力が実るよう、ガンバロウと励みを頂きました。 もう一つ、嬉しいことがありました。毎年の行進でお会いする大阪の酒徳溢子さんから、手作りで、CDN(英国の核軍縮運動)マークのワッペンを頂き、胸に付けてもらいました。その方は、自称「平和4姉妹」(通称平和行進追っかけ隊)の長女です。 参照 11-8-03.html CDN ; 08-3-27.html 11時20分、三島市役所へ着くと、3階の会議室に案内されました。 市長と議長から歓迎の挨拶を頂きました。土曜の休庁日にも関わらず、激励頂き、三島市の平和行政の歴史を重く受けとめました。 三島市は、日本で東京の練馬区(1954年5月)に次ぎ原水爆反対の組織を立ち上げた都市です。 参照 14-5-20.html その背景には、「戦後の青年会活動、庶民大学講座、コンビナート造成・誘致反対運動」などの影響があったと、年配者から聞きました。 どこの行進でも、参加者が多彩で、私の単純な質問に応えて貰うことができます。同じコースを、2回、3回と歩きますと、更に知りたいことが広がり、なるほどと、納得する回答が得られます。これも、行進を続けてきた魅力です。 同じコースを、次に行くときは、「このことを聞きたい」と思ったりします。 午後1時、三島市役所で出発集会を開き、午後の行進へ移りました。 途中、長泉町のユーコープ桜堤店で休憩しました。 午後4時5分、裾野市役所前の小柄公園へ着き、終了集会を開いて今日の行進が終わりました。 この場所へ、昨年到着したときは、会場に掲げた「やっと、裾野市平和都市宣言」の横断幕の輝きを鮮明に思いだしました。最後に残った小山町は、未だだそうです。 参照 16-5-20.html 終了集会後、御殿場市へ行き、在日米軍と自衛隊の基地がある「東富士演習場」を見学しました。 実射演習がはじまると、その間、現地の平和団体のメンバーが、3人以上の体制で実射回数をカウントします。市道の車中に待機し、発射音を聞き、着弾が見える場所に上り、着弾破裂音や目視で確認するそうです。 その調査・カウントを長年続けている現地に方々に、本当にご苦労さまと思いました。軍事基地をなくし、戦争をなくすことは、地道な努力の積み重です。実感を深めました。私は、未だ実弾演習の監視活動に参加がありません。 今日の歩いた距離は、区間により70~80~50人で12.6㎞です。 |
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