竹田昭彦・日誌(#08)・5月14日(日)    
米軍基地は いらない !

三浦市長から託されたペナントをペナントポールに結ぶ副市長
=2017/5/14、三浦市役所
三浦市の商店街を行進
=2017/5/14、三浦市役所
米海軍横須賀基地ゲート前で「米軍基地はいらない」とシュプレヒコールする行進者たち
=2017/5/14、横須賀市
 今日は、三浦市、横須賀市の行進です。
 天気は、曇りでした。
 9時、三浦市役所で出発集会が開かれ、副市長から激励の挨拶を頂き、市長からのペナントを託されました。
 三浦市は、1954年3月1日の米国による中部太平洋ビキニ環礁の水爆実験で、放射の被害のマグロ漁船の一番多かった港町です。
 当時、全町民上げての原子爆弾禁止運動が起きました。三浦市は、原水爆禁止運動の発祥の地と言っても過言ではありません。
 参照 14-5-14.html
     07-5-14.html
 11時40分、三浦市の京浜急行三崎口へ到着し、午前の行進が終わりました。
 ここまで休憩なしで、2時間10分を歩きました。途中に休憩に適した場所がないそうです。
 この間のコースは、上下2車線の道路です。行き交う車が多く、行進隊列の後方に車が繋がり、苦情も聞きましたが、警察官が的確に誘導していました。
 午後1時10分、横須賀市の京浜急行北久里浜駅前近くの岸根第4公園で出発集会を開き、88歳の片岡龍三さんから、広島での被爆体験を聞きました。
 その後、被爆者たちを先頭に、行進へ移りました。
 午後3時25分、横須賀市役所で歓迎集会が開かれ、市長メッセージを行進実行委員会の役員から披露されました。
 横須賀港には、原子炉が3基あります。原子力航空母艦(2基)と、原子力潜水艦の原子炉です。「動く原発・浮かぶ原子炉」といわれています。
  昨年は、延べ341日も繫留・滞在していました。事故がおきれば、首都圏3000万人に放射能の被害の危険があります。
 首都圏は、巨大地震発生の可能性が切迫しています。6年前の東日本大地震のときは、横須賀港の水位が低下し、原子力空母ジョージ・ワシントンが海底に接触・転倒する恐れがあり、バースから外洋へ逃げました。
 午後4時10分、横須賀港のヴェルニー公園へ着き、今日の行進が終わりました。
 県内通し行進の8目が終わりました。昨夜以外は、自宅へ帰りましたから、「通勤」時間や家事労働、用件などで、日誌を編集する時間が足りません。全国通し行進より、県内通し行進の時間不足を知りました。
 今日の歩いた距離は、区間により60~110人で12.4㎞です。

 
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