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竹田昭彦・日誌(#29)・6月01日(月) | ||||||||||||||||||||
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天気は、終日晴れで、気温が上がりました。 9時20分、青森市の県教育会館前で出発集会を開き、津軽半島一周の行進へ出発しました。 宣伝カーを先頭に、青森市在住の20人弱が数台の車に分乗して一緒に行きます。五所川原市までの距離は約150㎞です。そして、五所川原で引き継ぎ後、青森市の人たちは戻るから、総計180㎞ほどの行程です。全国でも、1日で巡る有数の長距離です。 午前は、蓬田村、外ヶ浜町の旧蟹田村と旧平舘村 の行進と役場訪問をしました。 午後は、今別町、外ヶ浜町の旧蟹田村、中泊町の行進と役場訪問をしました。 各自治体の行進では、青森市からの人たちと現地の人たちが一緒に行進しました。 どの自治体も、人口減が激しく、出会う人が少ないです。会う人に「平和行進でーす!」「戦争に反対しましょう!」と呼びかけると、多くの方から手が振られたり、お辞儀をされました。地元の参加者は、町内のほとんどの人を知っているので、名前を呼んで声をかけ、笑いもでました。 青森市から三厩(ミンマヤ)へ向かう湾岸の国道は、松前街道と呼ばれ、所どころに大木の松並木が残っていました。かっては、北海道へ渡る街道として、栄えた歴史が偲ばれます。 外ヶ浜町訪問では、被爆70年と合併10年を記念し、旧館田村のときに建てた木造の「平和宣言町」塔を、新たに建てると聞きました。2002年に訪問したときは、文字が黒々としていたが、今回は字が消えていました(写真上)。 参照 http://www.takeda-a.net/02-6-03.html 中泊町役場では、町長とお会いして激励を頂きました。昨年から、全自治体行進を目標に、中泊町の行進と役場訪問をするようになったそうです。地元の人も、のぼり旗を持って参加しました。 午後5時30分、五所川原市役所前で引き継ぎ集会を開き、「北海道→東京」リレー横断幕の引き継ぎに続き、初めて「国際青年リレー行進」のタスキの引き継ぎも引き継ぎ式をしました。そのタスキの裏の白地には、そのときに、掛けて歩いた年月日、自治体名、本人の名前をサインして貰っています。 行進は20人前後で6か所、延べ3㎞です。 |
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