竹田昭彦・日誌(#28)・5月31日(日)  

北海道から青森へ引き継ぐ

 
団体のリレー旗が北海道(左)から青森県(右)へ渡る=2015/5/31、青森市・平和公園  
 
青森市を行進=2015/5/31  
 今日は、北海道から青森県へ引き継ぎ、青森市の行進です。
 天気は、晴れでした。
 午前8時8分、昨日合流した通し行進者の五十嵐成臣さん、嶋田千津子北海道原水協事務局、竹田の3人で、JR函館駅発の津軽海峡線に乗りました。
 10時過ぎ、青森駅へ着き、平和公園へ直行しました。
 公園の平和の塔前では、既に青森うたごえ合唱団、青森民医連のメンバーが、歌声を響かせていました。
 青森市は、東北で最大の空襲を受け、約1000人が亡くなり、青函連絡船も12隻が沈没や航行不能の壊滅となりました。
 平和公園は、平和な未来を祈念してつくられ(1979年)、平和を託した大きなモニュメント「大空のうた」塔(平和の塔)があります。
 塔の上部は回転し、先端に子どもと鳩を乗せた舟形風のユリカゴが揺れ、鐘が鳴り響く仕掛けがあります。(正午に回転して鐘が鳴るようセットされている)
 青森市の行進は、正午の鐘の音を合図に出発するのが伝統です。
 参照 http://takeda-a.net/02-6-02.html
午前11時、平和の塔前で「北海道⇒青森引継集会」が開かれました。
 集会には、青森県原爆被害者の会の田中正司会長からメッセージを頂き、「先般開催されたNPT再検討会議では最終文書が合意されませんでした。被爆者が生きているうちに核兵器廃絶をと、当時を思い出すのも辛い気持ちをこえて、県内各地で被爆体験を語り続けてきました」「唯一の被爆国の政府が『核兵器廃絶条約』の実現に消極的なこと、また平和憲法改悪をたくらみ、国民を戦争へ駆り立てようとしていることは絶対に許す事はできません。高齢化した被爆者に残された時間は長くありませんが、私たちはあきらめません。今こそ、さきの戦争と被爆体験に耳を傾け、平和の大切さを、次世代に継承してください」と呼びかけられました。
 被爆者の生きているうちに核兵器の廃絶は、日本国民の悲願です。北海道から本州に渡り、東京へと行進する決意を新たにしました。
 正午、鐘の音を合図に、行進が出発しました。
 行進は、参加者210余人で2.3㎞です。