上海マラソン

上海マラソン紀行(2002年)

竹田 昭彦
第7回上海マラソン大会の前夜祭で左から井上さん、竹田、可児さん=2002/11/8
 2002年11月7日、朝9時、犬山市の走友の可児さんと東京駅で待ち合わせ、成田空港に行く。
 午後2時、JAL便で上海へ向け飛び立つ。ホッとする。
 航空券が、昨年の南極マラソン時に乗ったアメリカン航空の無料券(マイレージポイント)だったから、飛び立つまで、「何か、トラブルあるのでは」、との不安があったからだ。
 午後4時(現地時間)、上海浦東空港着。タクシーに乗り、中国語で暗記した行き先のホテル名を告げる。ガイドブックによると、90元(1元=15円)でホテルに着くと書いたある。料金メーターは、市内に着かない内から100元を超えている。本当に目的地へ行くのか不安となる。再度、ホテル名を告げる。運転手は、中国語で応えるが分からない。私が、地図上で想定した直進方向から左折して走る。「遠回りか」との不安が募り、地図でホテルを指す。運転手氏も地図を見て、「分かっている」との様子。
 川(黄浦江)を渡ると市内に入り、無事ホテルに着いた。146元払う。レシートをくれたが、すっきりしない。後で調べたら、妥当なコースと料金だった。
 ガイドブックによる名所旧跡の説明は変化しないが、物価は日々変動することを知らされた。ちなみに、私の見たガイドブックは1999年版だった。
 ホテルでは、ホテル代が未払いだと言う。日本で支払い、クーポン券を持って来たのに。係員の片言の日本語をたよりに押し問答したが、クレジットカードで保証金を払う。2重払いの不安となる。
 11月8日、朝7時、2人で早朝ランに出る。ホテル前の黄浦江(長江河口の支流)を遡る。川岸の公園では、様々な集団が太極拳、剣舞、社交ダンス、扇子舞など、ラジカセを鳴らし楽しんでいた。朝の熱気を感じる。公園が中断された所に船着き場があった。早速、通船に乗り対岸に向かう(往復0.5元)。上り下りの貨物船が頻繁に通り、簡単に横断出来ない。対岸には、東洋一高い上海テレビ塔(東方明珠電視塔)468mがある。走って近づいて見る。8時から開業とのこと。早速、一番高い3球(球状の展望台が3つある)のキップを100元で買う。先ず、2球目でエレベータを下り眺める。ビックリした。360度にわたって100m以上の高層ビルが延々と続く。海外マラソンにも何回か行き、色々な都市を見たが、上海は凄いパワーだ。2人は朝食を忘れ、2時間余り眺めていた。

     井上さんの発案で上海マラソン誕生

 夕方、地下鉄を乗り継ぎ前夜祭へ行く。地下鉄は凄いラッシュだ。特に、1号線と2号線がクロスする人民公園駅は、怪我人が出そうな勢いだ。上海の人口は、1600万人だと言う。
 前夜際会場で、岐阜市の走友の井上さんと会う。井上さんは壇上に紹介され、上海マラソン誕生の経緯を話された。繊維関係の仕事で何度か上海を訪問したある時、副市長と会う機会があり、マラソン開催を要請したと言う。そして、1996年第1回大会が開かれた。その大会では、「トイレはどこですか」などと、日中両国語で書いたカード持って走ったエピソードも披露された。
 今年で7回目になる大会は、日中国交正常化30周年記念大会に位置付けられていた。井上さんの功績は、上海マラソンの歴史に永遠と残るでしょう。

     上海マラソンの発展を願って

 11月9日、朝8時、上海の南京東路(銀座通り)からフル、ハーフ、4.1㎞が一斉にスタート。可児さんと私は、派手な法被を着て走る。沿道の観衆に手を振り声をかけ、観戦を盛上げて進む。
 制限時間は5時間30分。ゴール目標を5時間過ぎにする。1㎞7分ペースで走る。フルのエントリー数は252名。またたく間に最後尾となる。5㎞も行かない内に収容車とパトカーがつき、進路を塞ぎ、係員が降りて来て「乗れ、乗れ」と言う。第1回大会の時に参加した走友のYさんから、そんな様子を聞いていたので、可児さんと腕時計を指差し、遅くないことをアピール。相手は、2、3回繰返しあきらめた様子。5㎞の通過は、予定通り35分。プログラムにも、5㎞の最終通過は50分と書いてある。上海マラソンの発展のためにも、制限時間ギリギリで走るランナーのためにも、このペースで、ピエロとなって走り通す決意を固める。
 確かに、大きい交差点などでは、歩行者と自転車が両側で千人位、交通規制解除が「未だか、未だか」、と待っていた。しかし、遅いランナーでも走れる姿を上海市民にアピールしたい。観衆に手を振り、子どもにタッチをし、ニィハォ(こんにちは)とシェィ、シェィ(ありがとう=謝謝)を繰返す。30㎞を過ぎると、疲れ、笑顔をつくれなくなってしまう。
 5時間2分台で上海体育館にゴール。体育館の階段で、可児さんとお握りを食べていたら、お巡りさんが笑顔で寄ってきて、握手を求めた。かたい握手を交わし、上海マラソンの盛上りを共有し合った。
 そのお巡りさんは、私達の遅いペースと「異様」なハッピ姿をマークしていた人でした。
 ちなみに、中国のフルマラソン参加ランナーは、男性が110名で、女性は8名だった。

     20年後の上海

 速い人も、遅い人も走れる統一した大会にしないと、大勢の参加は望めない。
 それを、一同でできるのが市民マラソンの特長だ。速い人だけ対象にしていたら、20歳、30歳代のスポーツの粋を出ない。
 2008年は北京オリンピック。マラソン熱は盛り上がってくるでしょう。当面は、タイム争いの競技思考が続き、フルマラソンの市民化は難しいでしょうが、10年、20年すれば、井上さんが画いているような、ニューヨークマラソンの様になるだろうと思った。
 やがて、早朝から太極拳を愛好する中国の人々は、「静」のスポーツから、「動」のマラソンに魅了されることでしょう。
 11月10日、朝6時過ぎ、早朝ランに出る。走っていると旧市街地に出た。奥へ、入って見ることにする。上海の裏通りは、昔のままの様子。20歳くらいの娘さんが、縁台で餃子を一生懸命つくっていた。看板には4元と書いてある。店内へ入って食べることにする。
 湯気の立つ丼には、倍ぐらいに膨らんだ餃子があふれる様だ。数えると15個もある。大食漢の2人は、急いで食べようとするが、具が熱くて喉を通らない。うまい。
 隣の人が食べているラーメンも、うまそうだ。1杯を注文し、2人で食べる。うまい。「うまい」、と言う日本語が通じたようで、10元しか受け取らなかった。
 たらふく食べ、2人で150円は、安い! 中国の物価は安いが、色々な商売人がおるのも確かだ。街頭で、焼き鳥を食べたら二重払いを請求されたり、観光地で本を買ったら、元以下のお釣りを出さないので、本の定価を示し、不足分を貰ったこともあった。冷えた同じ瓶ビールでも、屋台では4元で、観光地のレストランでは25元となる。餃子の味を再びと思い、帰国日に空港で食べた餃子は、具が少なく8個で40元だった。
 中国は、新旧入れ乱れながら発展し、20年後には日本の生産高を追い越し、「世界第2位の経済大国」になると見られている。その影響は、計り知れないものがある。
 昼は、江蘇省蘇州市へ観光に行き、世界遺産に登録された中国の名園「拙政園」を見学。その他、15度傾いた47mの煉瓦造り斜塔「虎丘塔」(仏舎利)や、「寒山寺」なども見た。
 11月11日、朝、ホテルの部屋で、昨夜、路地の日本語を話す店長の食堂でつくってもらった弁当を食べる。旅は怖い人にも会うが、親切な人が多い。その店長の食堂では、5食分をたべた。マラソン大会の朝のおにぎりも作ってもったし、お酒もご馳走になった。偶然入った食堂だったが、お世話になった。謝謝。
 午後2時10分:上海浦東空港を無事飛び立ち、予定通り成田に着いた。
 この旅は、安い費用だった。2人の航空運賃は無料。ホテル代は、日本へ3回電話して送金着を確認し、結果的には日本で払った1人1泊当たり4200円で済んだ。ホテルは4星で、大きいな応接室つきのスイートルームだった。
 未知の旅は不安だが、一歩、一歩踏み出せば、なんとかなるものです。
http://www.shmarathon.com/home.dhtml
copyright(c) takeda akihiko all rights reserved