2024年 回ヨロンマラソンを走る
終始激励と涙をもらう
竹田 昭彦
与論港埠頭での歓迎
=2024/11/23、与論町・与論港
 
   
ウエルカムパーティーで奄美黒糖焼酎を飲む筆者
=2024/11/23、与論町・砂美地来館
 
   
 ウエルカムパーティーで踊り出すランナーたち
=2024/11/23、与論町・砂美地来館 (ビデオ・スタート)
 
ビデオ
 
   
80歳代の部で金メダルをもらう筆者(右)と銀メダルの寿洋一郎徳之島元天城町長
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2024/10/27、与論町・大会事務所
 
   
 金メダルをかざし同宿のランナー達とパチリ。左2人目が宿の女将さん)
=2024/11/25、与論町・与州旅館
 
   
 与論島の南端に建立の“母国復帰記念”碑。沖縄本島の辺戸岬を見ている=2024/11/23、与論町・与論城跡  
 2024年11月24日(日)鹿児島県与論島で開かれた第31回ヨロンマラソン大会を走りました。この大会は、フルマラソンの制限7時間ですが、間に合わないランナーをゴールまで走らせます。
 私は8時間30分のゴールを目標に、1㎞を12分ペースで行くと、スタートして数百メートル後には最後方になりました。うしろには、自衛隊のジープと救護車がつきました。
 コースは、島の海岸線1周約23㎞に沿った車道を左まわりに1周(往路)、右回りに1周(復路)します。そして、小刻みのアップダウンが多いです。
 コースの集落や一軒家の人たちは、幼児から年寄りまで、総出の応援でした。小太鼓や鍋など叩き、感動的でした。エイドは1周で10ヶ所あり、2週目も同じです。後半になっても、エイドは最後のランナーが通過するまで撤去せず、笑顔で声援されました。胸が熱くなり涙が出ました。30㎞過ぎでは、小、中、高の生徒たちが次のエイドから迎えに来てくれ、励まされました。最後のエイドの中学生は、出迎えが6往復目だと言っていました。その中学生3人と、25㎞過ぎから一緒になった徳之島の寿洋一郎さんと手を繋いでゴールを踏みました。
 タイムは、日没の17時50分過ぎで8時間50分35秒でした。そして、年代別(10歳刻み)80歳代表彰の対象者と言われ、私(84歳)が1位の金メダル、寿さん(80歳)が2位の銀メダルを大会事務所で授与されました(表彰式が終了の為)。フルマラソンを833回走って、金メダルは初めてです。
 大会の前日(23日)にはウエルカムパーティーがあり、参加者一同が踊り出す盛り上がりも合わせての初体験です。パーティーは参加費2千円で、夕食と奄美黒糖焼酎(島有泉)など飲み物が十分でした。なお、完走パーティーの方は、16時に始まり18時過ぎに終わりでしたので、雰囲気を味わえませんでした。だが、完走パーティー後は隣の屋台村で宴が続きます。寿さんと私は、屋台村で乾杯をしました。宴たけなわで花火が上がり、お祭りが終わりです。幼児をつれた家族ずれも多く、ランナーも島民も、マラソン祭りを終始楽しむ雰囲気を満喫しました。来年は走友を誘い合って参加したいと思います。この大会は、マラソン雑誌「ランナーズ」と連携しており、1歳刻み記録の番付対象大会です。

https://www.yoronmarathon.com/
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