シルクロード2万キロ

2017年 ウズベキスタンを行く (3)
シルクロード “奈良・ローマ2万km”
《 ヒヴァ→ブハラ 移動編 》
 
アムダリア川を渡る=2017/10/08、ホラズム州
アムダリア川岸で記念撮影。本流は見えないが川の向こうがトルクメニスタン=2017/10/08、カラカルパクスタン共和国を通過後のホラズム州
ロバに引かせる荷車=2017/10/08、ホラズム州
けんちん汁風うどん「ラグマン」=2017/10/08、ブハラ州
砂漠を延々と通る鉄道=2017/10/08、ブハラ州、午後2時過ぎ
 10月8日(日)
 今日は移動日です。車で、ヒヴァから東のブハラ(ブハラ州の州都)に行きます。

 8時、朝日に映えるイチャン・カラを見ながら、再度来ることはないだろうと思いました。
 昨日通った、ウルゲンチの市街地を通り抜けると、9時丁度にアムダリア川に出ました。是非見たいと思っていたので、やや興奮しました。
 アムダリア川は、天山山脈を水源とし、アラル海に流れます。
 ソ連邦の1960年代から、綿花を増産する灌漑用水路をどんどんつくり、アムダリア川から水を取り過ぎ、アラル海に水が流れなくなりました。
 同じく、天山山脈を水源とするシルダリア川も、同様にアラル海へ水が流れなくなりました。
 アラル海は急激に干し上がり縮小し、環境破壊の大問題になりまし。
 1960年当初は、湖として世界第4位の広さで、琵琶湖の100倍でした。
 現在は、80%以上が干し上がり、消滅も近いといわれます。
 私は54年前、モスクワからタシケントに向かう途中、アラル海を上空から見ました。陽光を受け、まぶしいほどキラキラしていました。
 そのとき、空から海面を初めて見たので、強い印象でした。
 それが干上がり、死骸の「観光名所」になっているとは・・・。

 アムダリア川の橋を渡り、さらに北に進むと、高速道路A380号線に出ました。その道路に入り、東のブハラを目指しました。
 A380号線は、西のカラカルパクスタン共和国の州都のヌクスから、東へ向かう唯一の幹線高速道路です。鉄道も、ほぼ同じルートです。
 
 10時過ぎ、トイレ休憩した場所がアムダリア川の岸辺でした。平地を蛇行する川なので、川幅が広く、中州や小さな湖が点在し、対岸が見えませんでした。
 このあたりは、アムダリア川がトルクメニスタンとの国境です。
 平地の砂漠は、目印になる物が何もありません。360度が地平線です。
 隊商たちは、どうのように進む道を定めたのでしょうか。曇りや雨の日は、太陽の高さも分からず、砂嵐が吹けば、足跡も消えるでしょう。決死の覚悟だったと思います。
 交易の富の魅力が、困難を乗り越えさせたのでしょう。
 車で移動中に、検問所が3か所あました。州を越える毎にあるようです。地図で見ると、ホルズム州からカラカルパクスタン共和国を通り、再度ホルズム州に入り、その後ブハラ州に入ったので、その都度の検問でした。私たちの乗ったワゴン車は、チェックされませんでした。

 12時、A380号線の砂漠の中にポツンと建つ、一軒家のレストランで昼食です。
 朝に、ヒヴァやウルゲンチを発った観光バスやトラックは、この当たりで昼食になるようです。賑わっていました。
 車社会の「オアシス」でしょうか。
 ここで食べたうどん「ラグマン」は、ニンジンなどが入ったトマトスープのけんちん汁風でした。うどんは口に合い、美味しく食べました。
 日本のうどんは、シルロードで伝わったのでしょう。ナンが、日本で定着しなかったのは、高温多湿に適した米が、普及したからだと思います。
 ウズベキスタンでは、豚肉を食べないそうです。豚は、何でも食べるのでイヤがられているようです。牛肉、羊肉、鶏肉を食べます。
 砂漠の草の生える所では、牛や羊の放牧が目立ちました。農家の周辺では、牛が繋がれて草を食べ、鶏は放し飼いでした。
 午後になると、悪路が続きました。アスファルト舗装が崩れていたからです。冬場にアスファルトに入った水分が凍結し、ボロボロになるからです。コンクリート風の舗装に、打ち換える工事を、所々でしていました。距離が長いので、長期間かかる様子です。
 ブハラが近づくと、山なみが見えてきました。日本で見る草や木の生えた山と違い、砂漠の山で、たいへん異様に感じました。

 午後3時40分、無事ブハラに着きました。延べの走行距離は、455㎞(腕時計GPS測定)で、延べ7時間40分かかりました。
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