☆HOME ☆7大陸を走る ☆著書注文 ☆著書外マラソン ☆平和行進日誌一覧 ☆日誌検索 ☆平和行進十話 ☆平和への旅一覧 ( ↑まえ  ↓つぎ ) ☆リンク  

台湾訪問(5月24~28日) ③
台湾平和運動交流

 
台湾の平和運動との交流会=26/05/27、新北市・将提金鬱金香酒店
 
 
国家人権博物館の正面
=26/05/27、台北市新店区
 
 
押房(独房)約1畳の床(左奥がトイレ)=26/05/27、国家人権博物館  
 
押房(4人房)約3畳の床
=26/05/27、国家人権博物館
 
 
収監者が押房を出る時などに付ける足枷
=26/05/27、国家人権博物館
 
 
中正紀年堂(門名は自由廣場)
=26/05/27、台北市中正区
 
 
龍山寺の参拝者
=26/05/27、台北市万華区
 
 昨夕に台北へ戻り訪台4日目です。朝から台湾で平和運動をしている大学教授と交流会を開きました。出席は、陽明大學1名、台湾大學2名、台南藝術大學1名と、淡水市民1名、通訳1名です。
 テーマは、ツアー側から伝えてあった質問 ①台湾有事(台湾海峡の危機)はあるのか、②日本の軍拡強化(高市総理の台湾危機発言)の受けとめ方、③台湾の反戦平和運動、④台湾海峡周辺での戦争阻止と東アジアの平和構築、等です。テーマに沿っての両者の発言と質疑討論は、9時から休憩や昼食を含む14時30分まで、フル稼働でした。詳細は多義に渡り割愛しますが、一定の答えを得て、今後とも交流と連帯を深めることになりました。
 私のまとめでは、①台湾は自主的であり大国とは友好的で等距離を維持する外交を貫くべきである。②米・中・日は、全ての意見の相違を平和的手段で解決すべきである。③台湾の軍事力化に反対である。④日本や近隣諸国の反軍運動や平和運動で連帯したい。⑤差し迫った台湾有事を感じていない。などと言う事でした。
 台湾の中・近代史は、何世紀も原住民が主に住んでいたところへ、1600年代になると、オランダやスペインに支配され、その後、大陸の明国、清国、そして日清戦争で日本の植民地(1895年~1945年)になりました。そして、1945年太平洋戦争が終結後(8月15日)、中華民国の蒋介石軍の支配下になりました。続いて1947年、中華民国の内戦で勝利した共産軍が中国人民共和国を樹立すると、蒋介石が台湾へ逃れ、独裁軍政となりました。
 台湾が大国の支配や軍政から解放されされたのは、1987年に戒厳令が解除された後からです。そして、住民の直接選挙による議会制度を確立させました。それを、台湾の民主化の始まりと聞きました。
 午後は、国家人権博物館を訪ね、蒋介石軍政の弾圧の凄まじさを知りました。その博物館は、蒋介石軍政の戒厳令期に、反抗する知識人や住民を弾圧した軍事裁判所や監獄等を、そのまま保存・公開したものです。2階建ての施設で、問答無用の軍事裁判風景、警護室、押房(牢屋)、足枷等を見ました。押房の壁の白いのは、入れられた人の精神力を弱める作用があるそうです。弾圧は白色テロと言われ、個人の自由や人権が日常的に抹殺されました。ここに収監されて処刑、拘禁された人を始めに、被害者総数は約1万8千人だそうです。
 博物館職員の若い女性のガイドさんは、資料のボード等も示しながら丹念に説明され、大変感動しました。私はかって、朝鮮半島を日本が支配した当時のソウル南大門刑務所跡地で、拷問の場面を蝋人形で再現した悲鳴等も見・聞きしましたが、逆さ吊りや水攻め等、身がよだつ凄まじさを思い出しまた。
 その後、中正紀年堂、龍山寺等を見学しました。中正紀念堂とは、初代総統の蔣介石を顕彰する宮廷風施設ですが、現在は歴史学習や文化イベントが開かれ、市民の憩いの「自由廣場」とも呼ばれ、若い人に人気だそうです。龍山寺は、私の干支の龍と同じなで興味深く見ました。ちなみに、マラソンを虚無僧スタイルで走った時の虚無僧名は、竹田龍峰です。
 参照 mara-b-03-09-06
参拝者を見ていると、男女老弱の方々が熱心に長時間拝むのに感心しました。そなえた御供物は、持ち帰って食べると願い事が叶うそうです。

☆HOME ☆7大陸を走る ☆著書注文 ☆著書外マラソン ☆平和行進日誌一覧 ☆日誌検索 ☆平和行進十話 ☆平和への旅一覧 ( ↑まえ  ↓つぎ ) ☆リンク
copyright(c) takeda akihiko all rights reserved.