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韓国ピース・ツアー(Ⅲ) |
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② 金堤市訪問 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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午前、金堤市役所を訪問し、ヤン、ユノブ 広報部長から歓迎の挨拶を頂き、市の行政目標を話されました。その後、市の概略を紹介するビデをみました。 金堤市は、湖南(ホナム)平野の中域に広がる穀倉地帯で、韓国でも古代から知られている稲作地帯です。日本の植民地時代は、多くの日本人が住み、米を日本へ輸出していました。 その当時の人口は25万人でした。現在は8万6千人で、10万人をめざしているそうです。 金堤市は、現在、国から種子生命産業特区に指定され、その中心都市を目標にしていました。 主要な種子は、米、麦、ジャガイモだそうです。 私が、遺伝子組み換えのことを質問しますと、反対しているとのことで、やぼな質問でした。 金堤市も祭りで、明日の5日から9日迄が「地平線祭り」でした。地平線とは、稲田が延々と地平線まで広がり「天と地が出会う唯一の場所」と評され、その雄大さを意味します。山や丘陵地の多い朝鮮半島では、地平線が見える唯一の平野だそうです。農畜産物には、地平線米などと「地平線」を冠したブランド名にしていました。「地平線パプリカ」は、日本へ輸出していました。 その後、日本が朝鮮半島を支配していた植民地時代に、幼年から青年期まで金堤市に居住していた、ツアー団長の吉田博徳さん(日朝協会東京都連顧問)の案内で、当時の日本人商店街や日本人学校跡などを見学しました。吉田さんが学んだ、学校の一部だった金堤郷校は保存されてありました。 午後、アジアで最古と言われる貯水池の碧骨堤を見学しました。 約1700年も遡る330年に、稲作の灌漑用に造った貯水池の堤防です。長さは3.3㎞、高さ5.7m、上段幅10m、下段幅(法面)21mで、5つの水門がありました。 現在は、貯水池が干拓され、残っているのは貯水池の一部と堤防の1部、及び第2、第4水門です。 現存の堤防の下部周辺が公園になっており、農耕文化博物館、アリラン文学館、伝統家屋体験村、国立青少年農生命センターなどがありました。 その公園が「地平線祭り」の会場で、準備に大わらわでした。祭り前日の見学で、残念でした。 堤防の法面では、保育園児たちが、はしゃぎながら滑って遊んでいました。遊び終わると、伝統家屋体験村の小屋で、午睡をしていました。 日本の保育園の日常保育では、考えられない場所の午睡で、ビックリです。 また、体験村の籾すり小屋では、その操作を熱心に体験している母と子をみました。体験は、何よりの学習です。農作業の仕方や農機具類の歴史は、日本と同じでした。農家で育った私としては、とても近親感を覚えました。 貯水池が干拓された先の海側(黄海)には、防潮堤が33.9㎞造られて、淡水化され、干拓地の拡大が進んでいました。 農耕文化博物館の見学では、今朝の市役所訪問で日本語通訳された女性職員に案内して頂きました。たいへんお世話になり、ありがとうございます。 その後、稲作10アールを経営するチェナムン(崔南勲)さんの、稲刈りを見せて頂きました。 農場は、防潮堤内の干拓地です。 チェナムンさんは、茨城県で農業研修を4年間つまれた方で、日本語が上手です。 台風25号の接近で、台風がくる前に稲刈りする状況でしたが、吉田さんと知り合いで、午前の旧日本人居住地街見学の案内もされました。 稲刈りは、倒れた稲穂の機械刈りを見せてもらいました。 本格的な稲刈りは、祭りが終わってからだそうです。田園の中には、磐骨堤の伝統家屋体験村で園児が午睡していた小屋に似た造りで、更に立派なものでした。農作業の休憩などで利用する、共用小屋だと知りました。日本では見たことがなく、驚きました。農村の伝統文化を守っているようです。 田圃のくろ(畔)には、大豆を植えていました。日本の農家も昔は同じで、その大豆で自家用味噌を作っていたのです。そのころを思い出しました。 チェナムンさんに米作の反当(300坪当たりの収穫量)を聞きますと、800㎞とのことでした。 二毛作で麦も作っているそうで、お土産に、もち麦を頂きました。ありがとうございます。 金堤市は、北隣の群山市と供に、国際物量センターの航路を目指しており、活気を感じました。 また、日本最古と言われる大阪狭山市の狭山池(616年頃築造)が、碧骨堤の工法と用途などが似ていることから、同じ「コメ文化圏」として両市が連携し、ユネスコ世界文化遺産への登録をすすめています。 |
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