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平和への旅
リ ン ク     
 

韓国ピース・ツアー
真の友好・平和は国民の運動から
 
平和の少女像(日本大使館前の像と同型)
=2015/2/23、戦争と女性の人権博物館
 
 
韓国原爆被害者協会のソン・ラクク(成洛龜)会長(左)へDVD「一歩でも二歩でも」を贈呈
=2016/2/24 
 
 
ソウル市の日本大使館前の平和の碑。後方の横断幕はピース・ツアーの訴え
=2016/2/24、水曜行動
 
ピース・ツアー団長高田公子さんの連帯の挨拶=2016/2/24、水曜集会  
 
2005年ソウル市の日本大使館前の水曜集会(後列中央)筆者=2005/9/15  
 
難攻不落の幸州山城の急坂を登る。後方は漢江に架かる傍花大橋=2016/2/25  
 2016年2月、「韓国ピース・ツアー」でソウル市と近隣を訪問しました。
 日本と朝鮮の数千年に及ぶ歴史は、戦国時代(1467~1568年)の豊富秀吉や、明治維新(大政奉還1867年)後の天皇制国家の朝鮮侵略戦争以外、大きな武力行為はなく、交易や、陶磁器や冶金技術の伝来、学問や文化等の交流が盛んに行われました。
 豊富秀吉の朝鮮侵略については、徳川家康が非を認めて捕虜を帰国させるなどしました。そして、室町時代から始まり、中断していた朝鮮通信使を再開しました。
 明治維新後の朝鮮侵略については、戦後、南の韓国と国交を開いた(1965年)が、北朝鮮と未国交で、全朝鮮国民が納得する真の反省とお詫びに至っていません。

 23日午前、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)との懇談・交流では、韓国々民の70%が、昨年12月28日の従軍慰安婦問題の韓日合意を「河野談話や村山談話からの後退」と、受けとめていると聞きました。
 河野談話は、被害者の聞き取りなど多面的な調査から、「その募集、移送、管理等も、甘言、弾圧による等、総じて本人の意思に反して行われた」と「強制連行」を含め「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、~」と認めた結論です。
 それに対し安倍首相は、今年1月18日の参議院予算委員会質問の答弁で、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(2007年3月安倍内閣答弁書)とする「その立場に何ら変更はない」と言うように、韓日合意の「おわびと反省」は本心ではないと感じているからです。
 そして韓国々民は、日本大使館前で「水曜集会」など続ける被害者達に相談なく合意した韓国政府にも、不信感を持っていました。
 日本の革新勢力が日韓合意を「一歩前進」と受けとめていることについて、「参与連帯」の方は「すべて否定したら日本の運動が進まないでしょう」と話され、「全面解決へ向けて韓日の連帯を深め、相互に力を出しましょう」と応えました。

 24日午前、ソウル市の韓国原爆被害者協会を訪問し、被爆者との懇談・交流をしました。ソウル以外に住む遠路の釜山(プサン)、狭川(ハプチョン)、大邱(テグ)などからの被爆者の参加(総計12人)があり盛会でした。
 同協会の調査によると、韓国人の被爆者は広島で3万5千人、長崎で1万5千人の計5万人です。
 そのうち、生存者で韓国に帰国したのは2万3千人です。現在の生存者で、日本政府から被爆者手帳の交付者は2517人です。手帳交付には2人の承認が必要で、年々困難になっており、未交付者が100人ほどおられるそうです。
 手帳交付者の治療費精算は、韓国赤十字社を通して日本政府に行うので、8か月かかるそうです。これを、3か月くらいにして欲しいと話していました。
 また、被爆2世3世は、被爆を隠す人が多く、被爆の実相調査が更に難しくなっています。
 私は、被爆70年の原水爆禁止国民平和大行進の記録DVD「一歩でも二歩でも」を贈呈し、核兵器廃絶運動の連帯を伝えました。

 24日正午、ソウル市の日本大使館前で毎週開かれる「水曜集会」に参加しました。
 韓国の中学生、高校生、大学生の取り組みや訴えを聞き、若い人たちの熱意に胸が熱くなりました。学校は春休みだそうで、遠方からの生徒たちが多く座り込んでいました。
 日本大使館を見つめる「平和の少女像」(別名平和の碑)は、大使館前車道の向こう側の歩道にありました。「水曜集会」1千回(2014/12/14)を記念して建立されました。集会後、「平和の少女像」を間近でみると、少女が座っている木椅子や、その台石が歩道に基礎を堅く固定していないことが分かりました。いたずらや、撤去される心配がないのでしょう。日本大使館を24時間警備する、警察官に守られているようです。
 昨日、「挺対協」付属の「戦争と女性の人権博物館」でみた通り、少女の右には、もう一つの椅子(先だった人の空席)が置かれ、訪ねた人が座り、少女の手を握れる構図です。韓国のみなさん心と想像力を強く感じ、身震いし、涙が出ました。
 「平和の少女像」は韓国全土に広がり、現在30基になったそうです。各地の「平和の碑」には工夫があり、少女の立像もあります。
  参照 http://www.takeda-a.net/16-8-16.html
 安倍首相は、日本大使館前の「平和の少女像」に毎夜うなされ、撤去を求めたのでしょうか。
 25日午前、豊臣秀吉が起こした朝鮮侵略戦争の激戦地で、日本軍の撤退に大きく影響した高陽市徳陽山(125m)の幸州山城を見学しました。
 ここで、1593年2月に日本軍3万人と朝鮮軍2千3百人が激しく戦い、日本兵1万人以上が戦没したと言われます。徳陽山は、独立峰で見晴らしのよい軍事要所です。南側を漢江、東側を昌陵川(漢江の支流)が流れて合流、当時は山裾が湿地帯の難攻地でした。北側と西側が斜面です。斜面を登って攻める日本軍に対して、上方から朝鮮軍が応戦しました。槍や刀の武器等の他に、大きな威力を発揮したのが女性たちが運んだソフトボール大の石でした。石は、民族衣装のチマチョゴリのチマに包んで運んだのです。その石は「チマ石」と呼ばれ、奮戦と勝利を称え後世に語られていました。現在、幸州山城地域は公園で、元旦に御来光を拝むスポットです。ソウルからも大勢来るそうです。
 日朝両国民の真の友好・交流は、政府間の思惑を乗り越えて、両国民が歴史を鏡にした運動にかかっていると、強く理解する旅でした。
  * 関連 http://www.antiatom.org/Gpress/?p=12216

 
 
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