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シベリア出兵100年
④ ウラジオストック

ブラゴベシェンスク空港の除雪作業
=2018/02/27
、ブラゴベシェンスク
潜水艦の魚雷発射装置
=2018/02/27、ウラジオストック
夕食のデザート=2018/02/23、ウラジオストック
 27日、正午過ぎにブラゴベシェンスクを空路で立ち、午後3時過ぎ、ウラジオストックに戻りました。
 ウラジオストックの行程は、潜水艦の見学や、バザールなどでのショッピングです。

 昨夜は雪が降り、ブラゴベシェンスク航空では、大型除雪車が数台で列をなし、除雪作業をしていました。空港の除雪作業は、初めて見ました。
 ロシアンを冬に訪問したことはなく、寒さをあまり意識しませんでした。訪問する2週間前ころからあわてて、つかい捨てカイロなどを買いました。
 こちらは、昼夜の部屋の温度が20度以上あり、外気がマイナス10度数度からマイナス30度位です。
 外へ出ると、温度差が40度にもなります。空気が冷たいと感じるより、痛みのある異様な感覚です。のども痛み、素手でいると、直ぐ指先が痛くなり、感覚がうすれます。本当に寒いとは、このことでしょう。
 ツアー同行の一人は、シベリア抑留者が冬場に過ごしたハウスを北海道につくり、戦争の悲惨さを体験的に学び、戦争反対と平和の尊さを、次世代に伝えたいと話していました。

 ウラジオストックは人口60万人余で、プリモールスキイ州(沿海州)の州都です。ハバロフスクより多く、極東の最大都市です。
 中国や朝鮮半島、そして日本と近く、太平洋に開かれた不凍港があり、地場の農業、漁業、林業も豊で、近隣には石炭、金なの金属鉱石が豊富です。
 第2次大戦後は、軍事都市として外部と遮断されてきましたが、ソ連崩壊後の1992年から開かれました。その後は、着実に発展しているようです。
 私は、1996年9月に、ウラジオストックマラソンを走ったことがありました。
 そのときは、日本の中古車が、日本語の店などの看板をつけたまま多く走っていました。日本にいるようで、唖然としました。建物も黒ずんでいました。
 今回は、日本語の看板をつけた中古車は、ほとんど見かけませんでした。日本の自動車メーカーも進出し、組み立て生産をしているほどです。
 1900年前後に建てられたヨーロッパ風建物も、化粧直しされ、輝いていました。
 日本から、最も近いヨーロッパともいわれます。
 ただし、ロシア太平洋艦隊の根拠地には変わりなく、多くの艦船が係留していました。ウラジオストック東側対岸のボリショイ・カメニ(大きな岩)には、原子力潜水艦の造船所や基地があります。ウラジオストックの港には、展示の潜水艦もあり、今回も見学しました。
 お互いに軍事基地をなくし、戦争をなくし、交流・親善を深めたいものです。
 今回の旅の食事は、3食付きで良かったです。ガイドさんが食通のようで、昼・夜とフルコースを美味しく食べました。各皿のボリュームも、1人半分くらいずつありました。

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