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竹田昭彦・日誌(#05)・8月02日(水) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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呉市から坂町へ引き継ぐ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豪雨で流された 原爆慰霊碑 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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天気は、今日も炎天でした。 午前8時30分、呉市役所に行くと、日本妙法寺の人たちの平和行進団が出発式を開いていました。例年、国民平和大行進団と同じ日のようです。 その出発後に、私達の出発式です。 うちわ太鼓を鳴らしながら進む行進団に手を振って見送りました。 午前9時前、呉市市議会の中田光政議長を表敬訪問し、激励を頂きました。議長応接室訪問の前に、議会事務局室の職員20余名が立ちあがり、訪問代表団を歓迎されました。 私は、余り体験がなかったので、ありがたく思いました。 9時、出発式が玄関前で開かれ、市長(代理総務課長)と議長から激励のメッセージを頂き、行進へ移りました。 庁舎は、私が2015年の訪問の時は新庁舎建設中でしたが、翌年に業務を開始したそうです。庁舎内のスペースに余裕があり、様変わりしていました。 行進がすすみますと、ところところで見覚えが蘇りました。 昨日、遠方から見た大麗女島は、高台のバス停「海上保安大学校入口」(行進の休憩場所)から眺めると、目と鼻の先で、鮮明に見えました。 もし、弾薬庫が爆発すれば、大学は大きな被害を受けると思いました。 昼過ぎ、行進は呉市のJR吉浦駅前で、呉市から坂町(安芸原水協)に引き継がれました。 その後、2018年の豪雨の土石流で破壊された、小屋浦トンネル前の「原爆慰霊碑」の移設先を見学しました。 参照 takeda-a.net/14-8-02.html 移設先は、町営の小屋浦公園です。公園には、坂町の自然災害の碑や坂町災害伝承ホールもあります。 適切な場所に移され、公的に管理もされることでしょうから、たいへん嬉しく思いました。 被曝した人々が、東の方が安全だとの情報が流れ、呉線の線路づたいに避難して夕方ともなり、息絶えた最終の地がこのあたりでした。 なお、午後の行進はなかったです。 行進中の昼食も楽しみの一つです。地域によっては、炊き出しではないですが、手作りのカレーライスやお握りがあります。今日は、台湾料理の食堂で冷麺を食べました。美味しかったが大どんぶりで、食べ切れませんでした。 食べる前に、写真を撮ろうと照明の反射光を気にしていると、フイリッピンの通し行進者アルバート・ロサダさんから、手で持つようにアドバイスを受け、撮ってもらいました。なるほど、よく撮れていました。私の頭にない、発想でした。 彼は、カメラマンだそうで、昨日から見ていると、撮影ポイントを瞬時とらえ、行動が素早いです。高度なスマホ1台で動画も操り、発信しています。 今日の行進は、3区間を参加者20人前後で6.5㎞です。沿道募金と署名筆の集計は、間に合いませんでした。 |
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