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竹田昭彦・日誌(#04)・8月01日(火) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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広島の呉市を歩く | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
沿道の家から 募金に感動! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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天気は、昨日同様の炎天でした。 午前9時、二方駅前で出発式が開かれ、その後、行進がスタートしました。 このコースは何度か歩いており、8年ぶりです。 参照 15-8-01.html ここの地域の取り組みは、行進が通る沿道の家々や店舗に、事前に行進のお知らせと、署名・募金のお願いをしてあることです。 そして、宣伝カーを2台出し、1台は行進団より先に進み、行進が近づいてくる案内を流します。それを「まいぶれカー」と呼ばれます。その後、2台めの宣伝カーと行進が通ります。 そのタイミングで、人が出てこられ、折り鶴や署名(日本政府は核兵器禁止条約に参加・批准を)を託されたり、募金をされます。暑さを忘れる感動です。 行進の2区間め後の休憩場では、被爆者の宮迫豊子さん特製の赤シソジュースを頂きました。 行進者達は、毎回頂くシソジュースを楽しみにしながら、宮迫さんの思いをしっかりうけとめ、来年も歩く決意をかためました。 宮迫さんは、10年ほど前から、被曝実相を文書化をしており、「毎年、ことしが最後、ことしが最後と思いながら続いてきた」と話されました。今回は、椿の花の写真を入れた2枚綴じ(A4)を全員が頂きました。 お孫さんから「お婆ちゃん、書いて、書いて、と言われることが」書く気になるそうです。来年は、出版を予定していると、地本の方から聞きました。 私は83歳ですが、物忘れが日々激しくなり、今回はスマホの持参を忘れた位なので「来年も来ます」、と約束できませんでした。 行進は、午前でおわりました。 コロナ禍で、午後の行進をひかえたことから、今年もそのようにしたそうです。 背景には、少子化や高齢化があるようです。 午後、通し行進者を中心に、呉港が一望できる高台に行きました。 呉港には、海上自衛隊が所有する潜水艦22隻の中、12隻を配備しています。呉港は、日本最大の潜水艦基地です。そして、ミサイルを垂直に発射する改造がはじまっています。 そのうえ、大麗女島(おおうるめじま)に、ミサイルの一大弾薬庫を造ろうとしています(現在自衛隊の弾薬庫が地下トンネルにある)。 米国の敵地攻撃能力強化とリンクする、中国や北朝鮮の「脅威」を煽る戦略は、急ピッチで自衛隊の強化になっています。国民に考える暇を与えないのが特徴です。軍事力強化は、相手に脅威を与えるばかりで、戦争を避ける平和策ではありません。だまされないよう、目を大きくしなければなりません。紛争問題の解決は、外交と粘り強い話し合いが1番です。 夕刻、創業110年になる呉駅まえの森田食堂で、恒例の通し行進者歓迎会を開いて頂きました。3代目店主の森田すずこさんは、お元気で、何よりでした。 今日の行進は、3区間を参加者20人前後で6㎞です。沿道募金79,740円、署名54筆です。 |
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