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竹田昭彦・日誌(#05)・5月15日(土) | ||||||||||||||||||||||||||
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東京→広島コース | ||||||||||||||||||||||||||
神奈川・鎌倉市を歩く | ||||||||||||||||||||||||||
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天気は、晴れでした。 午後1時30分、鎌倉市役所前広場で出発集会が開かれました。受付に、コロナ感染防止として、検温、消毒、マスク着用の案内と検温スタッフがおり、対応がバッチリです。 出発集会では、松尾宗鎌倉市長から激励の挨拶がありました。鎌倉市は、全国で初めて「平和都市宣言」した都市です(1958年8月3日)。全文を紹介します。 われわれは、日本国憲法を貫く平和精神に基いて、核兵器の禁止と世界恒久平和の確立のために、全世界の人々と相協力してその実現を期する。 多くの歴史的遺跡と文化的遺産を持つ鎌倉市は、ここに永久に平和都市であることを宣言する。 市役所前には、名誉市民の故・平山郁夫氏が揮ごうした石碑があります。 参照 takeda-a.net/17-5-15.html 鎌倉市の今年の平和行進は、みんなで鎌倉平和デー実行委員会が主催です。協力団体に、こどもたちに伝える平和実行委員会、イマジン盆踊り部、鎌倉市原水協などが加わり、鎌倉市が後援する方法でした。 昨年の行進が中止になったことから知恵を出しあい、平和を願う人々の輪が大きく広がったのです。 行進へ移ると、和服姿の「イマジン盆踊り部」の隊列が盛り上げました。沿道の市民や観光客は、コロナ禍で閑散としていましたが 、スマホで写真を撮る人が多かったです。 行進は、鎌倉市役所から鎌倉駅西口、御成通り、江ノ電の踏切を渡って鎌倉駅、東口、鶴岡八幡宮までの2㎞を、参加者150人で歩きました。 行進後、大船駅前の大船観音へ電車移動です。 午後3時30分、大船観音で「被爆者とのつどい」が開かれました。境内には、平和祈念塔、原爆慰霊碑、原爆の火の灯ろうがあります。 主催は、神奈川県平和行進懇談会(被爆者、生協、国民平和大行進)です。 各団体の挨拶で印象的だったのは、生協の代表者が「政府与党の公明党が、来年の1月オーストリアのウイーンで開かれる核兵器禁止条約締結国会議に、日本政府がオブザーバで参加するよう言っている」とのことです。 与党内からも、被爆国として「条約に反対」では、国民の理解が得られないからと思います。 つどいの終わりに、みなさんから寄せられた折り鶴が原爆死没者慰霊碑に献納されました(写真下段)。 慰霊碑は、「広島・長崎の爆心地の石及びビキニで被爆した第5福竜丸の遺品を添え千羽鶴を刻んだ橇(そり)に乗せ、被爆者が平和の丘に向かう姿を表しています」(案内版より)。慰霊碑のカロートには、県内で死没者の氏名を刻んだ御影石の名札が納められています。 |
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