竹田昭彦・日誌(#20)・7月12日(金)    
宇佐海軍航空隊跡 見学

豊後高田市を行進
=2019/07/12
、豊後高田市
「国際青年リレー行進」タスキにサイン
=2019/07/12
。豊後高田市
日本が起こした侵略戦争が終わる「平和記念碑」=2019/07/12、宇佐市・宇佐海軍航空隊跡
 今日は、豊後高田市の行進と市役所訪問、宇佐市、中津市の市役所訪問です。
 天気は、晴れで、少し雲がでました。
 8時10分、大分市の宿を宣伝カーで出て、1時間40分かかり、豊後高田市の行進出発場所の大型スパー「トキハ」(ときわ)に着きました。
 10時、出発式が開かれ、行進へ移りました。
 その場所は、国道213号線で平和通りの名称になっていました。
 行進参加者の3分の1は、若い人で、昨日に続き嬉しく思いました。
 豊後高田市で有名になった「豊後高田昭和の町」新町通り商店街を行くと、多くの店から人が出てこられ、手が振られました。とてもよい雰囲気でした。
 商店名を、現在横書きにする場合は、左から右に書きますが、その反対に右から左に書いた数店ありました。古くからある店でしょう。
 10時50分、市役所を訪問し、市長、議会事務局長にお会いしました。
 市長は、子育て支援に力を入れていると話され、高校生までの医療費の無料化、保育園の保育料と公立幼稚園の授業料の無料化(給食費含む)などいわれました。
 私の子3人が、延べ11年間保育園に入ったが、信じられない施策です。
 豊後高田市からは、市長名と市議会名のペナント等を頂きました。
 11時10分、行進に移り、来たときとは別の商店街を通って出発場所に戻りました。
 「豊後高田昭和の町」は、6か所の通りで
構成されているそうです。最盛期のポスターを見ると、凄い賑わいだったようです。
 午後は、明日から3連休のことから、宇佐市役所と中津市役所を訪問し、市長、市議会からのペナント等を頂きました。
 宇佐市訪問のとき、宇佐海軍航空隊跡の見学をすすめられ、見に行きました。
 1939年に開隊され、約800名の隊員からはじまり、終戦時は約6100名の規模でした。
 跡地には、掩体壕が保存され、特攻で戦没した154人の名前を刻んだ慰霊碑等がありました。
 戦後60年の節目に、全国から募集した石柱の「平和記念碑」が、滑走路の両側等に数多く建っていました。
 その一つ「八月や 六日 九日 十五日」が印象に残りました。
 日本が起こした侵略戦争は、アジア太平洋等の人々2000万人を殺し、日本国民310万人が死にました。
 日本政府は、侵略戦争を真に反省してこそ、各国との対等な友好と外交、核兵器廃絶に向けた国際貢献ができると思います。
 今日の行進距離は、豊後高田市を20人前後で3.8㎞歩きました。

 
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