竹田昭彦・日誌(#13)・7月05日(金)    
関鯖街道を歩く

臼杵市の出発式で挨拶する竹田(左端)
=2019/07/05
、佐伯市役所
佐伯市から大分市(手前)への引継式
=2019/07/05
,福岡市一尺屋
「国際青年リレー行進」タスキをかけた青年達=2019/07/05、大分市一尺屋
ドンブリから刺身がはみ出した海鮮丼=2019/07/05、大分市白木
 今日は、臼杵市の市役所訪問と行進、大分市の行進です。
 天気は、曇りで、しのぎやすかったです。
 9時30分、臼杵市役所で出発式が開かれ、政策監から激励を頂き、行進へ移りました。
 市役所は、臼杵城跡の近くにあり、城跡に沿って歩きました。
 昨日も、反対側の城跡に沿って市役所へ着いたので、ほぼ一周したことになります。城跡は、築城時に島だったそうです。堀は、不要の天然の要塞だったでしょう。景観も、たいへんよかったと思います。
 11時、臼杵市の行進は、JR熊崎駅で終わり、大分市の引継場所へ宣伝カーでアピールしながら移りました。
 午後1時、大分市一尺屋の農協の旧選果場で、臼杵市から大分市への引継式をしました。
 行進は、若い人が多く、「国際青年リレー行進」タスキを国公労の男性2人と、新婦人の2人にかけてもらいました。4人もタスキをかけるのは、これまでなかったことです。
 一尺屋は、温州みかんの生産地でしたが、他の果物に押され、栄えたミカン畑も荒れ放題でした。
 行進は、主に「関鯖街道」を歩きました。臼杵湾の佐賀関漁港から、別府湾の佐賀関港にかけては、関サバ、関アジの看板で一色でした。
 佐賀関漁港は、関サバ1本釣りの小型漁船の溜まり場(係留港)が幾つにも分かれていました。
 その岸壁に沿って漁師の家が並び、利便性のある築港だと思いました。
 佐賀関半島から、その先ある島の高島周辺で捕れたサバが本当の関サバだそうです。
 一匹、数千円もするそうです。
 このあたりの海岸線は、景観もよく、日豊海岸国定公園になっています。
 昼食は、午後の行進に先行した、一尺屋先の白木海岸のレストランで、海鮮丼を食べました。
 丼から、刺身がはじき出す盛り付けで、ビックリしました。
これまで、見たことがありません。「ところ変われば品変わる」です。
 佐賀関半島の付け根がくびれた、佐賀関漁港から佐賀関港にかけて横断する「関さば関あじ通り」の繁華街は、閉店の店が多く、ミカンづくりと似た印象を受けました。最盛期は、さぞ賑やかだったと思います。
 行進は、「関さば関あじ通り」が終わった、佐賀関港で一端止め、次の地点へ宣伝カーで移動です。
 大分市へ入ってからの行進は、歩きと車移動と、断続的でした。
 午後4時10分、大分市JR坂の市駅へ歩いて着き、今日の行進の全てが終わりました。
 坂の市駅前には、手と手をつなぐ「和」をデザインしたモニュメントが建ち、1400年続く市場の歴史が刻んでありました。貨幣が生まれない時代から、海の幸、山の幸等の交易が盛んだった地です。
 今日の行進距離は、2市を14~7人で8.2㎞歩きました。

 
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