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竹田昭彦・日誌(#55)・7月27日(金) | |||||||||||||||||||
交通の要所 防府市 | |||||||||||||||||||
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午後は、防府市から周南市への引き継ぎと、周南市大津島の回天記念館などの見学です。 天気は、晴れで、午後の一時雷雨がありました。 9時、防府市役所で出発式が開かれ、市長メッセージを総務部長から披露され、市長と議長からの賛助金を頂きました。 行進へ移り、アケード商店街の行進では、開店している店舗から手が振られ、沿道募金を頂きました。 休憩した防府天満宮(日本三大天満宮の一つ)では、鳥居際の食堂の店主が、「これくらいしか、協力できませが」といわれ、250円のかき氷を100円で提供されました。暑かったので、ほとんどの人が食べました。 10時50分、行進が市役所へ戻り、終了式をし、防府市の行進が終わりました。 延べ参加者は41人、沿道募金は4,951円頂いたと報告がありました。 防府市の行進に、大きな役割を果たしている市職労の方々には、たいへんお世話になってきました。 数えると、平和行進で6回、広島→長崎反核平和マラソンで2回(1995年、2004年に防府で宿泊)です。 防府は、萩往還の瀬戸内海の港(三田尻港)でもあり、昔から交通の要所で、賑わった所です。 午後1時、周南市の徳山港で、防府地区から周南地区へ引き継ぎをし、大津島へ船で渡りました。 大津島には、人間魚雷と呼ばれた特攻兵器「回天」の訓練と出港基地がありました。 その回天資料館と、遺跡の見学へ行ったのです。 参照 takeda-a.net/16-7-27 回天資料館見学後、私は李さんに、侵略戦争をした日本の国民も、侵略された国の国民も、戦争の悲惨さや犠牲は同じだと話しますと、李さんは違うとの返事でした。 侵略された国民からすれば、敵国の為政者も、かり出された国民も同じにみえるだろうと思います。 私は、かり出されて戦死した父の遺児として、父は「強制された加害者」の反面、犠牲が主だと確信しています。 その犠牲の連帯のうえで、国際平和運動、核兵器廃絶運動をすすめたいと考えています。 今日の行進距離は、2区間を35人前後で4.1㎞歩きました。 |
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