竹田昭彦・日誌(#40)・8月05日(金)  

 
歓迎 キムジョングさん

 
2016年 反核平和マラソン交流のつどい

   新日本スポーツ連盟主催「広島平和公園の戦跡・碑めぐり」参加者。(前列左端)佐藤好行さん、
 
(同3人目)キム・ジョングさん、(後列左端)筆者
=2016/8/5、広島平和記念資料館入り口前
 
 
約7万体の遺骨を納めた「原爆供養塔」前でガイドの松田久美子さんの説明を聞く
=2016/8/5、広島平和記念公園
 
 
2016年反核平和マラソン交流のつどい
歓迎 キムジュングさん
=2016/8/5、広島県立総合体育館
 
 今日は、2016年原水爆禁止世界大会の第2目で、分科会です。
 キムさんと私は、分科会には出ず、新日本スポーツ連盟(新スポ連)主催の「2016反核平和スポーツのつどいin広島」の一連の行事に参加です。
 天気は、晴れで、暑かったです。
 午前、キムさんと私は、新スポ連国際活動局韓国担当の佐藤好行さんと、JR広島駅で会い、打ち合わせをしました。
 佐藤さんには、キムさん、イさんの平和行進参加の件で、たいへんお世話になっています。
 そして、キムさん、イさんを平和行進へ派遣した「韓国体育市民連帯」と、日本原水協との連絡や韓国語の翻訳サポートなどをして貰っています。
 午後1時、広島平和記念公園で「戦跡・碑めぐり」をしました。
 私は、広島平和記念公園に何回も来ていながら、詳しく戦跡・碑めぐりをしませんでした。集会参加が主だったからです。
 戦跡・碑めぐのガイドをされた、松田久美子広島被団協平和学習講師の詳しい話しに、初めて知ることが多くありました。
 平和大通りは、空襲の延焼を防ぐため、家屋を壊して防火帯をつくった場所の一つでした。
 その作業は、「建物疎開」と呼ばれました。
 壊すのは大人で、壊した木材などを学徒動員の生徒たちがかたづけました。大人が壊す作業時間は、7時半から午後4時半迄でした。
 生徒たちは、かたづけ作業開始前の打ち合わせ中か、作業開始まもない時間(原爆爆発8時15分)に、被爆したのです。生徒の被爆死者数は、平和大通り周辺で6300人だったそうです。ガイドさんは、ほとんどの人が即死状態だったと話しました。
 夜6時30分、「2016年反核平和マラソン交流のつどい 歓迎キムジョングンさん」に参加しました。キムさんの行進風景が、スライドで紹介されました。本人の感想では、「(キムさんの)身体で、日本国民の反戦平和の思いを、世界へ訴える心を知りました」と述べ、「一つの夢が生まれました。韓国と日本が平和の活動を一緒にやりたい」と話しました。
 つどいの終盤に、東京うたごえ協議会の大熊啓事務局長の飛び入りがあり、韓国の反戦歌「朝露」を合唱するなど、連帯を深めました。
 夜8時30分、マラソン交流のつどいが終わると、近くの繁華街で交流夕食会が開かれました。参加者20余人が、食べて、飲んで、語って、大いに盛り上がりました。
 宿に着いたのは、よふけの11時を過ぎていました。

 
  copyright(c) takeda akihiko all rights reserved.