竹田昭彦・日誌(#39)・8月04日(木)  

 
全国の行進が 広島で終結

 

   
   2016年 原水爆禁止世界大会の開会総会壇上に平和行進の通し行進者が勢揃い
 =2016/8/4、2016年原水爆禁止世界大会広島開会総会
 
 
行進最終日元気に出発
=20116/8/4、広島市西区
 
 
原爆慰霊碑前で被爆体験を話す木下義男さん
(左)=2016/8/4、広島市西区・庚午第一公園
 
 
終結集会で挨拶する筆者
=2016/8/4、広島平和記念公園
 
 今日は、行進最終日で、広島市の西区、中区の行進です。
 天気は、晴れで、昨日同様に薄雲がでました。
 今日の行進は、通し行進者5人が3コースに別れました。
 キムさん、小林さん、私の3人は、昨日の延長で長崎→広島コースです。
 五十嵐さんは、富山→広島コースです。
 山口さんは、東京→広島Bコース(宇品出発)です。
 8時40分、広島市西区の草津公民館前で出発集会が開かれ、最後の行進がはじまりました。
 キムさん、小林さん、私の3人は、「平和公園へ着く行進」だと、うきうきした気分で歩きました。
 お母さんに連れられた1年生の男の子を、リレー横断幕の中央に入れ、キムさんを先頭に歩きました。
 キムさん最後の花道です。
 9時30分、西区の庚午第一公園に建立された「原爆慰霊碑」前で、地元の元町内会長木下義男さんから被爆体験を聞きました。
 詳しい体験記も配布され、原爆投下日と、その後数日の被爆者の実相を、具体的に知ることができました。
 行進してきた宮島街道は、被爆して助けを求める人や、行き倒れになった人々の生き地獄だったそうです。
 その「原爆慰霊碑」(2010年改修)は、この地域(高須町、庚午北町)でダビにふされて埋められ、その後、発掘された192体の慰霊です。
 なお、最初に遺骨を収集して納骨したのは1948年で、当時、原爆供養塔がありました。
 参加者全員で、黙祷を捧げました。
 10時40分、西区役所前の公園で歓迎集会が開かれ、市長メッセージを区次長から披露され、区長からのペナントが託されました。
 11時45分、中区の平和公園入り口の噴水前へ到着しました。
 既に他コースの行進が到着しており、直ちに終結集会が開かれました。
 宣伝カーの上部の台に立った私は、「各地の皆さまにお世話頂き無事到着しました。ありがとうございます。今回は韓国から参加の国際青年リレー行進者のキムさんと38日間一緒に歩きました。各地で歓迎され平和行進の日韓連帯の大きな一歩になったと思います。日本と韓国は米国の核の傘にあり、これを打ち破り、北東アジア非核地帯化や、核兵器廃絶に向けた両国民の連帯運動はますます重要だと思います。キムさん奮闘を称えたいと思います」(主旨)と報告しました。
 午後3時50分、世界大会広島の開会総会壇上に、全国の通し行進者が立ちました。万雷の拍手で迎えられ、写真を撮る人も最高でした。各地を歩いてきた、通し行進者への激励です。
 挨拶したキムさんは、「行進を通して日本国民の戦争反対の心を理解したこと」や、「両国民の平和への連帯運動」などを強調されました。私は、終結集会と同様の挨拶をしました。
 今日の行進は、3区間を参加者45~70人前後で5.6㎞歩きました。

 
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