竹田昭彦・日誌(#38)・8月03日(水)  

 
広島市へ入る

 

 
廿日市市の市長(左から3人目)議長(4人目)と記念撮影=2016/8/3、廿日市市役所  
 
寄せられた募金袋と折り鶴
=2016/8/3、廿日市市
 
 
国際青年リレー行進参加者の海外青年たち(左)キム・ジョング
=2016/8/3、広島市・広島ロードビル
 
 今日は、廿日市市、広島市の行進と役所訪問です。
 天気は、晴れで、薄雲がでました。
 9時、JR大野浦駅前から行進が出発しました。
 出発集会なしで、行進がはじまるのは珍しいです。 午後1時45分、廿日市市の市役所で歓迎集会が開かれ、市長、議長から激励の挨拶を頂きました。
 そして、市長、議長、市職労委員長からのペナントが託されました。
 議長は、元横綱の故千代の富士の新聞記事(中国新聞2日付け)にふれ、千代の富士の父がヒバクシャで、親の子に対する心境を話しました。
 父は、千代の富士が横綱になるまで、広島で被爆したことを明かさなかったそうです。「力士の息子がよくけがをするのは原爆のせいではなかー」と言われるのを、さけてきたのです。
 ヒバクシャの苦難は、晴れことがなく、今も被爆体験を明かさない人が少なくありません。
 廿日市市の行進では、行進団へ募金の封筒や折り鶴を渡そうとする人が多くあり、受け取りが、直ぐに間に合わない地域もありました。
 事前に、「被爆国日本の使命をになう世界大会に、若者や被爆者をはじめ各地の代表を派遣するための、募金にぜひご協力お願いします」と、募金袋と折り紙を配布していたからです(写真中段)。
 午後3時10分、広島市の佐伯区役所で歓迎集会が開かれ、区長から激励の挨拶とペナントを託されました。集会には、職員20人ほどが出迎えられ、励ましを頂きました。
 行進が西区に入り、西部埋立第八公園に建立された「草津南町国民義勇隊追悼碑」に黙祷を捧げました。女子100名を含む157人が「建物疎開作業」任務中被爆し、犠牲になりました。
 昨日、大竹市で見た「叫魂」の碑と同じ犠牲です。
 午後5時、西区の草津公民館前で、今日の行進が終わりました。
 今日の行進は、県警機動隊員が15人ほど付かれ、1kmを13分台で歩くハイスピードの区間が、何回もありました。これまでの行進で、一番汗をかき、長崎→広島コースで2番目に長い距離でした。
 夜は、広島県労連事務所で恒例の「歓迎と交流の夕べ」が開かれ、内外の通し行進者などが一同に集い、連帯と国際交流を深めました。
 今日の行進は、8区間を参加者20人前後で23.2㎞歩きました。
 沿道募金は、廿日市市で19,020円頂きました。

 
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