竹田昭彦・日誌(#37)・8月02日(火)  

 
山口から広島へ引き継ぐ

 

 
冷茶の接待=2016/8/2、岩国市新港町  
 
「歓迎 国民平和大行進 ようこそ広島へ」の幕(左)に迎えられ、山口県から広島県へ引き継ぐ
=2016/8/2、山口県和木町
 
 
「叫魂」の碑=2016/8/2、大竹市総合市民会館  
 今日は、山口県から広島県へ引き継ぎます。
 山口県は、岩国市の行進、和木町の行進と役場訪問です。
 広島県は、大竹市の行進と市役所訪問、廿日市市の行進です。
 天気は、晴れで、午後のいっ時に雷雨がありました。その後、たいへん蒸し暑くなりました。
 朝、通し行進者6人は、JR由宇駅発7時16分の電車に乗車し、岩国駅で下車して市役所へ行きました。
 市役所へ向かう途中のコンビニで朝食を買い、市庁舎のロビーで食べました。
 今日は、強行軍です。
 8時35分、岩国市役所前で出発式が開かれ、10分後に行進へ移りました。
 山口県内では、最も早い出発時間です。
 岩国市の行進は、1区間を1時間以上歩くことが多く、楽しみは休憩です。
 10時前 路肩に小さなテーブルを置き、冷茶、塩飴、煎餅などの接待がありました。
 テーブルには、テーブルクロスが掛けられ、心づかいが伝わってきます。接待は、年配の婦人たちで、最高齢者は82歳でした。
 11時30分、県境の小瀬川に架かる栄橋南詰の上流の路上で、「歓迎 国民平和大行進 ようこそ広島へ」の幕に迎えられ、山口県から広島県へ、沖縄・九州3コースのリレー横断幕が引き継がれました。
 広島を目指してきた通し行進者たちは、感激と安堵の瞬間です。
 キムさんは、山口県内通し行進者の横井さんと別れ際、涙ぐみ、目頭を押さえていました。
 総勢70人ほどの参加で、引き継ぎ式が終わると、直ちに広島県の行進へ移りました。
 午後12時40分、大竹市民総合センターに着き、昼食休憩になりました。
 ここには、「叫魂」(きょうこん)の碑があります。
 原爆が広島に投下された8月6日、大竹市の旧大竹町、旧小方村、旧玖波町から、国民義勇隊や学徒動員で広島市へ行き、約1000人の方々が被爆死しました。添えられた「叫魂の碑由来記」碑には
 『生き残った私たちは若い世代に「ノーモア・ヒバクシャ」の願いを受け継いでもらうため(一部抜粋)』
 と書いてありました。碑は、1983年(昭58)建立されました。
 「ノーモア・ヒバクシャ」の言葉を碑文に明記した慰霊碑を、私は初めてみました。
 午後3時、大竹市役所で歓迎集会が開かれ、市長メッセージを政岡修総務部長から披露され、ペナントが託されました。
 午後5時20分、廿日市市のJR大野浦駅前で、今日の行進が終わりました。 
 今日の行進は、山口県側を3区間参加者20人前後で7.0㎞歩きました。
 広島県側は、4区間を参加者20人前後で11.7㎞歩きました。合計18.7㎞です。

 
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