竹田昭彦・日誌(#28)・7月24日(日)  

 
核兵器廃絶は みんなの願い

 

 
元気に歩く高齢(87歳)の志賀逸男さん(左)
=2016/7/24、美祢市秋芳町
 
 
行進が美祢市役所へ着く=2016/7/14  
 
長門市の出発集会で被爆者からのメッセージが披露される(右が代読する行進実行委役員)
=2016/7/24、長門市役所
 
 今日は、美祢(みね)市(美東町、秋芳町、美祢市街地)、長門市の行進と市役所訪問です。
 天気は、晴れでしたが、薄雲がかかり、しのぎやすかったです。
 9時30分、美祢市美東町の美東「道の駅」で出発集会が開かれました。挨拶した私は、10年前(2006年)に美東町の行進が30年ぶりに再開され、その行進に参加したときの感激を話しました。
 参照 takeda-a.net/06-7-25
 行進へ移る直前、のぼり旗を持たなかった婦人が、急遽、先ほど宣伝カーへ積み込んだ旗を取り出しました。気分が盛り上がったのでしょう。
 また、「沖縄~広島コース」通し行進者の山口逸郎さん(84歳)より歳上で、87歳の志賀逸男さんが元気に歩かれました。
 普通は、山口さんが最高齢者ですが、先輩の参加で、しばし年齢談義に花が咲きました。
 午後1時、美祢市の市役所で出発集会が開かれ、日曜日にもかかわらず、市長メッセージを篠田洋司副市長から披露されました。
 市役所入り口には、「核兵器廃絶・平和宣言都市」塔があり、目立ちました。
 美祢市の行進は、総合支所や市役所周辺を、1㎞ほど回る行進でした。
 その庁舎間は、車で移動をしました。
 午後2時30分、長門市役所で出発集会が開かれ、市長メッセージ、被爆者メッセージが行進実行委の役員から披露されました。
 被爆者メッセージ(山口県原爆被害者団体協議会副会長田中敏彦さん)は、「原爆を落とした国の人も、落とされた国の人も一人ひとりが手を取り合い、話し合をしていかないと核兵器も戦争もなくならないと思います。その為にも、私たち被爆者が投下当時の地獄と現在も続いている苦悩をありのままに伝えていく義務があると思います」と、述べています。
 今日の行進には、警察官が数名つかれ、安全に誘導されました。
 余談ですが、県下のある地区の出発集会で、警察署へ行進許可の申請をすると、「参加者が多くなるとよいですね」と、言われたと聞きました。
 その話しを聞き、核兵器廃絶は、国民みんなの願いだと思いました。
 今日の行進は、4区間を参加者20人前後で5.6㎞歩きました。

 
  copyright(c) takeda akihiko all rights reserved.