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竹田昭彦・日誌(#22)・7月18日(月) | ||||||||||||||||||||||||||
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八幡製鉄所の跡地を歩く |
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天気は、晴れで、時々雲がかかりましたが、30度を超える暑さでした。 気象庁は、梅雨あけを発表しました。いよいよ暑い日が続く平和行進の本番です。 9時、JR黒崎駅前の商店街入り口で出発集会が開かれ、行進へ移りました。 出発集会をしたアーケードの商店街には、昨夜見た山笠の山車が置いてあり、組み立ての繋ぎに木のつるを使っていました。金具を使わない、昔からの伝統で驚きました。 山車は車輪が四つで、前輪・後輪とも左右に動きません。方向を変えるときは、後輪を宙に浮かせ、前輪て舵を切ります。 十字路などでは、前輪だけで360度を2回、3回と回り、見せ場をつくります。凄い迫力です。 行進では、元衆議院議員の小沢和秋さん(84歳)とリレー横断幕を持って歩きました。小沢さんは、八幡製鉄所に勤務しており、議員になった方です。私も、1960年代に日本鋼管水江製鉄所に勤めており、同じ鉄鋼労働者として小沢さんの議員活動を尊敬していました。一緒に歩け、たいへん嬉しかったです。 参照 http://www.takeda-a.net/09-7-19 黒崎駅前での署名行動は、今年の7月6日で1093回になりました。 歩いた八幡東区の地域は、日本の近代発展の基礎となった官営八幡製鉄所があったところです。中国や朝鮮などからの鉄鉱石の輸入や九州の石炭産出に、地に利があったのです。 行進が八幡東区に入った所で、ワンポイント学習会がありました。 1945年8月8日に、鹿児島本線八幡駅の南側の商店街や住宅地などが、米軍の焼夷弾よる大空襲を受け、死者1785人、罹災者5万3千467人、家屋焼失1万3千296戸の被害があったそうです。 空爆直後の写真を見ると、線路北側の八幡製鉄所は攻撃されず、煙突や工場群が建っていました。住民を狙ったのです。 12時20分、八幡東区と戸畑区の境界線の路上で引き継ぎ式を行い、今日の行進が終わりました。 午後の時間に余裕があり、溜まった汚れの衣類の洗濯などに精を出しました。 今日の行進は、3区間を参加者70人前後で6.9㎞歩きました。 (7月20日 加筆) |
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